2003年08月31日(日) |
末続選手の銅メダルよりもすごいこと |
携帯用URL
| |
|
フランスで行われた陸上の第9回世界選手権第7日、男子200メートル決勝で末続慎吾が20秒38で銅メダルを獲得した。男子短距離種目での世界陸上メダルは、日本はもちろん、アジア選手でも史上初である。しかし、今から約70年前に、100メートル走に10秒3という当時の世界タイ記録を3度も出し、暁の超特急と呼ばれて世界の頂点に立った吉岡隆徳というスプリンターがいたことを知っているだろうか。
ロケットスタートと呼ばれた驚異的なスタートダッシュを得意とした彼は、1932年のロサンゼルスオリンピック決勝では50mまでトップを走った。(結果は6位入賞)もしもオリンピックに50メートル走という種目があれば間違いなく金メダルと言われたのである。
6位に終わったことを悔しく思った吉岡はさらに100メートルの練習に打ち込む。彼は自分の生活活動の全て、食事・排便・睡眠・呼吸・日常歩行までを訓練の道具にした。筋力をつけるため蛋白質がいいというとそればかり食べ、マムシの血がいいと聞けば週に一度新宿に飲みに行ったという。そして1935年10月17日に甲子園競技場で、関東・近畿・フィリッピン対抗戦100メートル決勝。吉岡はついに10秒3の世界タイ記録をマークしたのである。
この記録には伝説がある。手動計時の複数の係員のストップウオッチは10秒2を指していたのだが、「日本人の世界新が信用されるわけがない」と協議の末、タイにとどめたというものだ。西欧の諸国に対して卑屈な態度をとらざるを得なかった当時の世相を思えば考えられる話である。吉岡隆徳は「暁の超特急」と呼ばれその国民的人気は頂点に達した。
しかし、1936年ベルリンオリンピックに血染めのハチマキで試合に臨んだ吉岡は、「神国・日本」を体現する英雄にまつりあげられながらもプレッシャーに負けて予選落ちしてしまったのであった。
今と違ってスパイクシューズも粗悪で、筋力を増強する科学的なトレーニング方法の裏付けがあったわけでもない時代の10秒3がどれほど偉大な記録であったことか。ベルリンオリンピックで黒い特急と呼ばれたジェシー・オーエンスが10秒2を出すまでは、まぎれもなく日本人スプリンター吉岡隆徳が世界の頂点にいたのである。
前の日記 後の日記