2003年08月18日(月) |
失われた風景〜帰省して思ったこと |
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お盆なのでとりあえず老いた父をクルマに乗っけて里帰りしたのである。クルマで1時間もかからずに行ける距離だから、帰省などと言う大それたものでもない。そこは私の伯父夫婦の暮らす家があり、父が幼い頃を過ごした土地でもある。我が家の本家筋にあたる家である。現在の事実上の当主は私の従兄弟になるわけだ。滅多にやってこない客だということで、オレの父はいちおうちょっとした果物などを持参したのだが、寿司をとってくれたりといろいろと歓待を受けたのである。
数年前、山懐に抱かれたその家を建て直したとき、オレはあまりの時代錯誤な豪壮な建築に失笑した。「今の時代にこんなモノを建てるなんて」しかし、ゆっくりと家のまわりを散歩していてあちこちの方向から眺めてみて、樹齢150年を過ぎると推定される庭の柿の木や、あたりにうっそうと茂る樹木、そして周囲の家との調和を考えたとき、決してその屋敷が時代錯誤ではないことにはじめて気が付いたのである。逆に現代風に旭化成ヘーベルハウスやミサワホームの蔵のある家なんかをこんな場所に建てる方がはるかにミスマッチである。
小学生くらいの頃、オレは夏休みを長くその土地で過ごした。まだ健在だった祖母の隣に寝ていたので、祖母に合わせて早起きしては虫取りに出かけ、カブトムシやクワガタを採った。裏山からは延々と尾根が伸びていて、どこまでも広がる無限の遊び場だったのである。今、その尾根筋は幹線道路が建設されて断ち切られ、集落の南側の山を削って造成したゴルフ場はすでに倒産している。そこに至る途中の道筋ではあちこちで山が無惨に削られ、ニュータウンとして造成されたものの、買い手が付かずに広大な土地が更地のままで放置されていて、かつてのミカン畑が広がっていた頃の面影はない。土地を売ってあぶく銭を得た成金どもが集ったパチンコ屋もすでに廃業して廃墟となっている。
和泉山脈の山懐に抱かれたこの地にとって20年の変化とはいったい何をもたらしたのだろう。豊かな自然に包まれた山里は既に亡く、そこに残るのは開発という名の暴力が吹き荒れた後の中途半端な無惨さのみである。そしてこのようなことは、今日本中で確実に起きていることなのである。一度壊したモノはもう後には戻れないのである。
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