2003年08月09日(土) |
たたたた、台風10号の襲来じゃ |
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台風が恐ろしいなどというと、今では信じてもらえないかも知れないが、オレがまだ幼い子供の頃は本当に恐ろしかった。少し激しい雨があるとオンボロ長屋は激しく雨漏りしていた。まだ赤ん坊だったオレには記憶がないのだが、第二室戸台風の時には屋根瓦がすべて吹き飛ばされてしまい室内から空が見えたという。何歳の頃かはわからないのだが、激しい風雨の音を聞きながらふとんに潜ってそのまま眠った記憶もある。もしかしたら家屋が倒壊するかも知れないという恐怖は、中学生になって一戸建ての家に引っ越すまで続いたのだった。
新しく広い家で一番嬉しかったことは、その家が台風くらいではびくともしないように見えたことである。確かにその後不安はなくなった。
しかし、大学に進学して貧乏学生になったオレは、再び台風の脅威にさらされる。安い家賃に惹かれてあるボロアパートに住みついたからだ。床が少し傾いていて、部屋の真ん中にテニスボールを置くと自然に窓の方に向かって転がっていく、そんな情けない部屋だった。強い風が吹くと建物全体が震えているようだった。オレは大学の四年間をその悲惨な部屋で過ごしたのである。
台風が接近するとオレは必ず部屋から逃亡した。もしかしてアパートが倒壊したら死ぬかも知れないと不安だったからだ。土産の食糧や酒を持参して、鉄筋コンクリートの建物に住む友人のところに避難していたのである。昭和34年に襲った伊勢湾台風の死者・行方不明者は五千人を越え、被害額は当時の金額で五千億円を超えたという。大量の流木が名古屋市南部を埋め尽くし、なかなか水が引かなかったのである。台風や地震の持つ破壊力に対して、力業で押さえ込もうとしてもそれは無理だとオレは思っている。日本中の河川を百年に一度の大水害や超大型台風に耐えられるように改造しようと思えば、そのコストは1000兆円を超えるだろう。
被災地に新品のスニーカーをはいてやってきた野次馬政治家が、復興需要をただの利権獲得の手段としか考えずに大盤振る舞いの発言をすると石をぶつけたくなるぜ。必要なのは気象情報の共有と迅速な避難、とにかく安全なところまで逃げきることだ。無理な開発で斜面を削って建てられたボロ家にしがみついて命を落とすなんてつくづくばかげてるぜ。
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