2003年07月11日(金) |
12歳ってそんなに驚くことか? |
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長崎県の幼児投げ落とし事件の犯人が12歳の少年だったということで、少年法の改正だの、極刑を望む被害者の両親の発言だのが話題になっている。12歳ということにショックを受けた方も多いようだが、最近のクソガキは自分の収容されている施設の職員を殺して脱走したり(愛知)、いじめていた相手を殺して墓地に埋めたり(沖縄)と、犯罪の中味においては大人に遜色ない。年齢と共に分別が身に付くものなら大人や老人は犯罪をしないことになるが、実際は凶悪犯罪と言えば大人の方が圧倒的に多いわけだから12歳を批判する資格は大人にはない。子供のくせに大人並みの犯罪をしやがって!ならわかるが、少なくとも子供の心は純真だなどという幻想は捨て去った方がいい。多くの大人の心が腐ってるように、子供にもそんな連中が増えたというだけである。
そんなことよりも問題なのは、日本には重大犯罪を犯した外道に対して誰もが納得する罰を下す仕組みが存在しないということである。なぜ林真須美に与える罰が「ヒ素入りのカレーを食わせる」ことではないのか。因果応報主義を原則としたいオレは、あまりにも軽すぎる現行の刑罰こそが犯罪を助長している気がしてならない。自殺者まで出しているヤミ金融業者への罰はわずかな罰金刑で済むのである。これではあまりにも理不尽だ。4歳の幼児を全裸にして弄んで殺した行為への罰はやはり、全裸にされて同じ場所から投げ落とされるでなければならない。それが叶わないのならせめて、30年間くらい奉仕活動に従事させて、その手記を小学校の教科書にでも載せて教育に役立てればどうか。
「ぼくは今、カンボジアで地雷の除去作業をしています。12歳の時に人を殺した償いをするためにこの危険な作業を続けているのです。うっかり地雷に触れて二ヶ月前に右足を失いました。でも、ぼくに殺された人の痛みに比べれば、これくらいなんでもないです。」
小学生に「罪を償うことの義務」を教えることは絶対に必要だ。汚職でクビになった元官僚の手記、飲酒運転で多くの人を死なせたドライバーの手記、覚せい剤の売人だったヤクザの懺悔の記録など、なかなか教育的だと思うんだが、いかがなものか。
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