2003年03月23日(日) |
自殺するなら臓器をくれ |
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今、日本では若者に自殺が流行している。井上陽水が「傘がない」という曲で「都会では自殺する若者が増えている♪」と歌ってから30年経ったが、今度はネットの中で流行しているのである。仲間を集めて、密閉された室内や車内で古風にも練炭を燃やして一酸化炭素中毒で死ぬのだが、オレがもったいないと思うのはそうして失われる命ではない。健康な体を持ち、健康な臓器がその中に詰まってるのに、死んで火葬されるその肉体が実にもったいない。どうしてその肉体を役立てないのだ。
そこでオレが提案するのは「臓器提供自殺」である。これは安楽死とは違う。あくまでも自殺である。ただ、そのときに医師が手助けして、すべての臓器をまっさらで使える状態で取り出すのだ。そしてすぐに必要な場所に空輸して移植用に用いる。どうすれば臓器を痛めずに死ぬのが可能なのかわからないが、きっと方法があるはずだ。時間を掛けて適合不適合を検査すれば、より安全な提供相手を見つけることができる。これによって多くの人命が救われることは間違いない。わざわざ移植手術のために海外に行く必要もない。
自殺する人間というのは、自分が世の中に役に立たない、無駄な存在だと思っていて、太宰治みたいに「生まれてきてスミマセン」などと思う者までいるが、そんな人にも「あなたのおかげで多くの命が救われるのです」と、まるで暴走する列車の下敷きになった小説「塩狩峠」(三浦綾子)の主人公の気分になってもらえたなら、自殺者は最後の善行で心安らかに死ねる。自殺する本人も満足して死ねるし、臓器をもらえて病気が治る人も満足するのだから誰にも迷惑は掛からない。
同じ死ぬのでも、列車に飛び込んだりしたらどれほど多くの人に迷惑を掛けることか。だったら役立つ死に方をもっと積極的に推奨したらどうなのだろうか。「自分が死んで他人を生かす」こんな崇高な行為を「自殺」などと呼んではいけない。これからは他生と呼ぼうじゃないか。「ぼくはこれから他生するんだよ」 なんと美しい響きだろう。きっと誰も止めないよ。それにしても、生きたくても生きられない人が大勢居るというのに、なんともおめでたい人たちだよ。
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