フセインは攻撃開始を告げる第一撃ですでに死んでいるというウワサが流れている。このウワサに関してだが、オレは十分その可能性は高いと思っている。なぜなら、攻撃開始後に流されたフセイン大統領の健在を訴える映像は明らかに、「事前に準備されたモノ」であったからだ。そしてその後のイラク国営放送で同じ写真が使われていることから考えて、すでに死んでいる可能性は非常に高いと言える。わざわざ「健在」ということをアピールするのはそうでないからであり、死んだことがバレたらその時点で戦争は終わってしまう。だからフセインが死んだという事実は公表できないのである。
フセインは多くの影武者を用意しているそうだが、次に出てくる「生きているフセイン」は、必ずしも本人である保証はないわけだ。黒澤明の映画「影武者」では、偽物を見破るのは年端も行かない子供である。テレビの映像から我々は果たして影武者を見破ることができるであろうか。
考えたら以前の湾岸戦争の時は、クウェートからイラク軍を追い出すことが戦争の目的であり、バグダットを攻略するとかフセインを殺すことは目的に含まれていなかったのだ。あのときだって、居場所がわかれば一撃でフセインを狙うことは可能だっただろう。そして同様のことが可能ならば、オレはやはりもう一人の独裁者を一撃で葬ってほしいと思うのだ。自衛隊にもトマホークくらいはあるだろう。別に米軍の助けを借りなくても「自衛権の行使」を行えばいい。日本海にイージス艦を巡航させて、相手がテポドンをぶっ放してきたらいつでも使用すればいい。
それにしてもテレビで流れる映像の不思議さなんだが、攻撃が起きていて黒煙が上がっている、まさに「戦争状態」なのに、クルマがたくさん行き交っていて、市民は普通の生活をしているのはいったいなぜなんだ。全く理解に苦しむのである。戦時中の日本のように灯火管制もなく、街の灯りがきらめく中でミサイルが目標物に向かって飛んでいくのである。阪神大震災で神戸が壊滅状態だったのに、すぐ隣の大阪では全く変わらぬ日常が継続していたことと思わず重ね合わせてしまう。海の向こうの「戦争」は、テレビから流れる一個のニュースに過ぎないのだ。
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