2003年03月14日(金) |
ブッシュ、おまえのやってるのはいじめだ |
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みんな「もうすぐ戦争が始まる」と口々に言う。本当に戦争など起きるのか? 戦争とはなんだかわかってるのか? 一方だけが相手を自由に攻撃できる状態を果たして「戦争」の中に含めていいのかはなはだ疑問だ。
例を挙げて説明しよう。太平洋戦争は全体としてはまぎれもなく戦争だが、東京大空襲は果たして戦争と言えるのか? 抵抗することが不可能な非戦闘員を一方的に焼夷弾で焼き殺した行為を「戦争」とオレは呼びたくない。あれはただの大量殺人でしかなかったんだ。アメリカ人から見れば黄色いサルなど虫ケラ以下に過ぎない。退路を断つように区画整理して焼夷弾の雨を降らせ、逃げまどう住民は面白半分に射殺した。
原爆投下はただの人体実験だ。一度も使用されたことのない兵器が人体にどんな破壊力をもたらすかを試してみたかっただけだ。あんなものは戦争ではない。ただの戦争犯罪である。兵士が略奪ついでに占領地の女性をレイプするのと本質的には同じレベルの行為である。その愚劣な行為を「戦争」などと呼ばないでもらいたい。正しい戦争の定義とは、お互いに血を流しながら国家と国家がぶつかり合うことなのだ。たとえ勝てたとしても支払う犠牲が大きすぎるからその行為は20世紀以降タブーとなったのだ。
自軍や自国民を絶対安全な場所に置いて一方的に相手を殺戮するアメリカ流の行為をオレは戦争とは呼びたくない。それはいじめとケンカが全く別物であることと同じだ。いじめを行っていたヤツが、「あれは実はケンカだったんだ」と言い訳することがよくある。数人で一人を一方的にリンチして殺したくせに、「あれは一対一のケンカだったんだ」とウソを並べて裁判官を騙す外道もいる。また、そういう卑怯者の味方をして「そうだ、いじめなんかじゃない」と同調する幇間野郎もいる。前者はブッシュ、後者はコイズミという名だ。
オレは「戦争反対」などとここで青臭い主張をするつもりはない。お互いがやりたければ勝手にやればいい。どうせ日本は第三国だ。高みの見物だぜ。ただ、やるんならお互いに血を流して正々堂々と戦え。両国の国民が最後の一人になるまで殺し合う覚悟はあるのか。ブッシュはフセインとタイマンを張る勇気があるか。
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