2003年02月08日(土) |
カシオの20年ものだぜ! |
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オレは大学生の時に買ったカシオの液晶デジタル時計を今も使い続けている。年齢がばれてしまうが、20年以上使い続けていることになる。当時は1万5千円くらいしたが、今ならおそらく千円以下で同じ程度の性能のものが買えるだろう。もう飽きてきたので他の時計に買い換えたいのだが、残念なことにいつまでたっても壊れてくれないのである。まだ使える品物を廃棄するのはオレのポリシーに反する。靴下は穴があくまで使うし、クルマは廃車になるまで乗る。ワイシャツは袖口がすり切れるまで着るというのがオレの信条だ。人はそれをただの貧乏人とも言うが。
はじめての海外旅行の時はヘルシンキで電池切れになってオレを困らせてくれた。ポーランドではたまたまカシオの腕時計をしていた地元の少年たちが私のを指さして同じだと大喜びした。そんないろんな旅の思い出が詰まっている時計なのだ。たまに外出時に時計を忘れた時も、いつもの癖で無意識に肘を曲げて何もない右手首を見てしまうくらいだ。もう完全に体の一部となっていると言えるだろう。もしもこの時計が今後も壊れずに動き続ければ、まだまだ30年40年と使い続けることになるだろう。死ぬまで使い続けることになればその時は棺桶に一緒に入れて焼いてもらおうと思っている。
ただ、20年のうちに幾度か電池は交換している。数えてみれば5年に一度くらいになるだろうか。あと、ウレタンの時計バンドの部分も3年くらいでちぎれてしまうので交換する。時刻はほとんど狂わず、一ヶ月に5秒くらい進む程度である。市販されている普通の時計はたいてい月差±15秒くらいなので、それよりも高性能ということになる。
このカシオの時計を買うまで、オレは母からもらった女モノの小振りな腕時計を使っていた。手が小さく、手首が細い華奢な体型なのでそれで違和感は感じなかったのだが、新しい時計を手に入れたのを機に、それまで使っていた女モノの腕時計は当時結婚を考えて交際していた女性にあげてしまった。その後その女性とは別れてしまったが、今でも時々ふっと思い出すことがある。彼女は今どこでどうしているのだろうかと。そして私があげた時計は、おそらくはもう動かなくなっているだろうが、彼女は捨てずにしまってくれているだろうかと。
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