2003年01月07日(火) |
馬鹿正直に生きるということ |
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全国高校サッカー選手権、水島工−作陽の組み合わせとなった岡山県大会決勝戦は延長戦にもつれ込んだ。前半三分、作陽のシュートがゴール左ポストを直撃、ボールはゴール内に跳ね返って右奥の支柱に当たって転がり出たという。Vゴールで試合終了というところだったが主審は試合を続行し、全国大会への切符はPK戦で水島工が手に入れた。作陽の監督はビデオを手に抗議したが聞き入れられなかった。
人が判定する以上、スポーツに誤審はつきものだ。プロ野球の判定では特定球団を勝たせるためにわざと誤審する外道審判がいるとよく話題になるが、サッカーの世界にはそういうことはないはず。審判の技術が未熟なだけだろう。誤審も含めて勝負は時の運なのか、あるいは審判の判定よりも「ボールがゴールに入った」という事実をより重視すべきなのか。この試合の場合、決勝戦の審判団は試合後にミスを認めている。だが、PK戦の後に水島工が優勝という試合結果は覆らなかった。
あの伝統芸能である大相撲(あえて、スポーツとは呼ばない。あれは芸能芸能だと思っている。)でさえも、判定にはビデオを取り入れている。人間の目は一瞬を見逃すこともあるからだ。ならば野球やサッカーにおいても、判定のきわどい場面が発生した場合に、試合の流れを妨げない範囲内でビデオ映像などを元に確認することがなぜできないのか。
水島工のエースストライカーは「誤審による勝利」に悩み続け、練習にも出なくなった。彼のスポーツマンとしての意地が「負けたのに全国大会に行くこと」を許さなかったのかも知れない。監督が怒って彼を「おまえはばかか。ルールで出場できるんだ。」と叱り、校長先生も説得したが彼は意志を変えず、結局チームは彼を欠いたままで大晦日の一回戦に出場して敗れた。
世の中には誤審で勝てたのに平然としている人間が多数存在する。たとえばシドニー五輪。誤審で篠原から金メダルをもぎとったドゥイエ、ソルトレイク五輪のショートトラックの判定もそうだ。彼が取った行動は組織や集団を大事にする日本社会のルールから見れば間違っているのかも知れない。いや、世界にもそんな正直者はいないのかも知れない。しかし、「卑怯こそがもっとも恥ずべき行動である」と武士道精神を示してくれたことをオレは忘れない。彼は腐ったスポーツ界の泥の中から咲いた一輪の蓮の花だ。いつか、Jリーグの輝く星となってくれ。
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