2002年12月08日(日) |
ヒ素カレー女林眞須美の失敗 |
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オレが持ってるインターネットお宝画像の中に、大塚のボンカレーのパッケージのパロディがあって、ボンカレーがヒ素カレーになっていて、ご丁寧に林眞須美の写真になっているのがある。大塚食品の方もとんだ迷惑だろう。
和歌山ヒ素カレー事件の判決公判が12月11日に迫っている。本人が黙秘したまま判決を迎えるという異例の事態になったが、保険金殺人に対する世間の目の厳しさを思えば、今回も死刑判決を免れることは無理というのが大方の判断だろうし、もしも死刑を出さないような裁判官ならば、犯罪者はみんな彼に裁かれることを望むだろう。
さて、今回の事件であの女が死刑を逃れる方法が果たしてあっただろうか。つまり、ヒ素入りカレーで4人の犠牲者が出た点についての「殺意の有無」である。検察側が死刑にする根拠として「無差別殺人の結果の四人の死」を主張するとして、「その程度では死なない思っていた」と林眞須美が主張していればどうなっていたのだろうか。傷害致死なら果たして死刑を求刑できるのかということである。「死亡したのは薬物中毒のせいではなくて食中毒だと当初判断していた医師のミスだ」という論陣を弁護団が張ればどんな展開になっただろうか。
食事にヒ素を盛られながら死ななかった証人もちゃんと居る。彼女の夫である健次被告である。あれだけヒ素を混入しているのになかなか死なない。「こんな大鍋ならきっと、わずかなヒ素を入れたぐらいではみんなピンピンしているに違いないわ。」という判断で入れたということなら果たして殺意は成立するのか疑わしい。しかも住民が死んだところで保険金が入ってくるわけでもない。彼女には無差別殺人をする動機がないのである。「気にくわない連中にちょっと悪戯をしてみたかった」という理由で、たとえばOLが上司のお茶にぞうきんの絞り汁を入れるような感覚でカレーにヒ素を混入したのならどうだっただろう。
判決を前にした林眞須美のところには子供たちが面会に来たという。自分の親たちが働かずに保険金で食っていたという事実を子供たちはどのように受け止めているのだろうか。どんな外道であっても、子供たちから見ればまぎれもなく親である。罪を犯した両親が罰を受けるのは当然だが、子供たちはこれからどんな人生を歩むのだろうか。もしかしたら一番の被害者は、死ぬまで親の犯した罪を背負って生きなければならない者たちかも知れない。
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