2002年11月08日(金) |
馬鹿に捧げた命の空しさ |
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すべての人の死には意味があるのだと思いたい。そうでも思わなきゃやりきれない。それにしてもこの空しさはいったいなんだ。線路内に入って遊んでいた中学生が列車にはねられて重傷、それを運びだそうとした救急隊員が特急列車に接触して死亡。この死の責任はいったい誰にあるのか?きちっと安全確認しないで列車を運行させたJR西日本か? 新聞の論調はどれも同じだった。「現場との連絡が不十分なまま列車を走らせたから悪い。」夕方のラッシュ時だ。事故のためにダイヤは混乱し、ホームには人間があふれかえっていた。一刻も早く運転再開をとJR西日本側が判断したのもわかる。それよりももっと責められるべき存在はあるだろう。中学二年という分別のある年齢になりながら、探偵ごっこで線路内に入ってはねられるような馬鹿のせいだとどうして書かないんだ。二、三歳の幼児ならまだわかる。その場合は親の監督責任が問われるだろう。しかし、中学生なら線路内に入ったらいけないことぐらいわかるだろう。そんなこともわからない馬鹿をどうして中学生にしているんだ。幼稚園からやり直しさせろ。
クルマを運転していてもっとも厄介なのは、そうした「馬鹿」の存在だ。ふざけ合って歩道から車道に飛び出す馬鹿。路地から勢いよく自転車で出てくる馬鹿。メールを打ちながら前も見ないで歩いていて、止まっている俺の車にぶつかってくる馬鹿。そうした馬鹿は一向になくならない。そんな馬鹿がオレは怖い。だっていくら相手が馬鹿でも、轢いてしまったらおしまいだ。殺人者となってしまったら最後、職を失うだけじゃすまずに刑務所に入れられるかも知れない。そうなれば妻子と老いた両親をどうやってこの細腕で養えばいいんだ。一瞬にして一個の人間の人生を破壊するわけだから、馬鹿というのは実に恐ろしい存在だ。
もう20年も前になるだろうか。京阪電車の線路に置き石して特急列車を脱線させた馬鹿がいた。幸い、死者は出なかったものの、とてつもない馬鹿の存在に背筋が寒くなったよ。京阪電車は馬鹿の親たちに雀の涙ほどの損害賠償を請求したが、「ウチの息子は誘われただけだ」とほざいて賠償金の支払いに応じない馬鹿の親もいたなあ。
線路で遊んでいた馬鹿、並びにその親よ。どの面下げて救急隊員の葬儀にやって来るんだか、見てみたいものだぜ。
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