2002年11月06日(水) |
「愛国心」なんてものを、教えられるのかい |
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中央教育審議会の中間素案には、教育基本法に愛国心を盛り込もうとしているらしい。国家への忠誠心を教育で押しつけるなんて、どこかの独裁国家みたいでアホらしいというかなんというか、少なくとも自分のような非国民には住みにくい国家になりそうだ。自分に似ておそらく非国民になりそうな息子には自分の本心を隠すすべでも教えないといけないのかな。もっとも、愛なんてものは押しつけて芽生えるものではなくて、勝手に発生する面倒で始末に負えないものなんだよ。だからこの世には煩悩の種が尽きないのじゃないか。それを教育で後天的に与えられるのなら、女子大の教官はせっせと女子学生に「自分への愛」を教えちまうだろうが。
それに考えてもみろ。保身とてめえの退職金のことしか考えない官僚どもや、公共工事をビジネスにしている外道政治家が腐らせてしまった国をいったいどうやって「愛」すればいいんだ。国民にも選ぶ権利はあるんだ。とんでもないドブスが迫ってきて「私を愛して」と言われても迷惑だろう。渓谷を砂防ダムだらけにし、海岸をコンクリートで固め、母国をこんな醜い姿にしてしまった連中の罪は万死に値する。ゼネコンとつるんだ政治家、ODAで汚職する連中、国民を守れない外務官僚、おまえらみんな売国奴だ。
かつて、この国は自然も人の心も美しい、「愛するに値する国」だったことは間違いない。その愛する国を守るために、多くの若者が特攻という形で国家に殉じて逝ったのだ。誰が「天皇陛下万歳」なんて思うものか。自分の両親を、兄弟を、恋人を守るために、彼らは従容とこの世に別れを告げた。『きみを忘れない』という戦争映画があったが、その中で登場する若者たちは、たかが自分たちの犠牲ではどうにもならない戦況であることを十分に理解しつつ、おそらく日本は戦争に負けることを確信しつつ、それでも「自分たちの意志」は永遠に残ることを期待して死ぬ。来るべき時代が、戦争のない、人が殺し合うことのない世であることを願いながら特攻に出撃するのである。私はその場面を老いた父と二人で、TVの前で涙を流しながら見入っていた。 11/6
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