気まぐれ日記
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2008年08月21日(木) 育ての主に似る花や木々たち

我町の街路地は毎年花でいっぱいになる、町内会の人たちがお世話して通りすがりの私たちの目を楽しませてくれている。お世話している人たちは、ほんの一部の人だけれど、町全体、住む人皆んなが花を愛していて優しく幸せな町に感じる。朝早く散歩をしていると知らない人にも何となく【おはようございます】と言えてしまう。人を素直な気持ちにさせてくれる効果もあるのでしょう

そんな花達も決して最高の条件下にいる訳ではない、日中の炎天下、土もすっかり乾いてしまっているにもかかわらず、なんと生き生きとしていて今が盛りと咲き誇っているのです、特別毎日水を掛けてもらってはいないのに。

それに引き換え、我家の花や花篭たちは、一日でも水をあげなければすぐ草臥れてしおれてしまう、だから結局毎日水をあげなければならないのである。

いったいこの違いは何なのか?これほど世話をしてるのにと思う。でもその理由は分っているのです。これは育て方の問題なのです。

街路地の花達は植えられたときから、甘やかされずサンサンと照らす日光と少ない水の中で花自体が生きるために、地中深く根を張り地中の水分をしっかりと吸収してサンサンと輝く日光を充分に浴びて生きているのです、これぞ自然の知恵、厳しい自然の中に生きるパワーであると思います。

我家の花達は、植えられた時から主に頼り,朝そして夕には待っていれば、水をたっぷり与えられるのである、何も生きるために努力して根を張らなくても時間が来ると水が与えられるのを待っていればいいのである。しかし主が水をあげなければ、根を張っていない為水を吸いあげることが出来ない。結局我家の花達は主がいなければ、生きていけないのである。自然の厳しさに耐えるだけのパワーを持っていないのである。

即ちすべてに於いて人間も花達自然物も何かに頼るのではなく、生きるために、幸せになる為に、成長する為に、社会のそして他人の為に努力しなければならないと思う。そこに全ての出発点があるのだろう。

街路地の花も自分達の【種】を守り尚且つ人々に幸せの花を見せるための努力の結晶であると思う。

自然の厳しさに【万歳】




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