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| 2001年12月25日(火) ■ |
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| (野球日記なのに何故か)M-1グランプリの話 |
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今日は、かねてから楽しみにしていた「M-1グランプリ」を見た。M-1グランプリは、結成10年未満の若手漫才師が、1000万円と日本一の漫才師の称号をかけて闘う大会で、今回が初の試み。
学生時代は、深夜に放送されていた若手お笑い芸人による番組に夢中で、ビデオに録画し、朝から晩まで飽かずに見ては、笑っていた。それゆえに、漫才を見るときはちょっとうんちくがはいってしまう。(注:私と一緒にお笑いを見ないことをオススメします)
姉は、私以上にお笑いを見ていて目も肥えているので、評価は厳しい。1組1組、緊張の中ネタが披露されていった。私と姉がひとしきり笑ったあと、観客の反応やネタふりや芸人の仕草などをみて、「これはいける」「きびしいなあ」「後半盛り上がって方が有利やで」などと、渦中の芸人にとってはいい迷惑の評論に終始していた。
中川家やハリガネロックなど大阪の芸人が出るときは、親戚が出ているかのごとく緊張したし、届きもしない声援を送った。「しっかりなあ」「ネタは安定しているから大丈夫やって」「いいネタ見せてやあ」。奥で寝ていた母が、「なにやこの子ら」とつぶやいて、こたつのあるパソコン部屋に移動した。
グランプリは、みごと中川家に輝いた。結成9年目、今回が最初で最後の挑戦だった。優勝候補と言われていたが、やはりプレッシャーを感じていたことだろう。 兄弟コンビ、弟の方が力つきて座り込んでしまっていたのが印象的。
番組宣伝で、大会委員長の島田紳助氏が、「この大会は高校野球です」と言っていた。確かに一発勝負、優勝はただ一組などという厳しさには相通じるものがある。出場メンバーに年齢は大体20代半ばから30代前半だったのだが、緊張の面もちや喜んだり悔しがったりしている姿は、その年齢を感じさせなかった。
今年の大阪近鉄のリーグ優勝戦を見たときにも思ったのでが、人は何かに真剣であればあるほど子供に戻っていくように思う。それが、ちょっと羨ましい。
今日、大舞台に上がった芸人はの大半を数年前から知っている。あれから月日が流れ、私も以前に比べるとそれほど熱心にお笑いを見ることもなくなった。そんななか、彼らはがんばっていて、ここまでたどり着いたんだなあ。姉とそんなことを話して、しんみりとした。
1993年秋にドラフトで指名された高校生は来年でプロ9年目を迎える、26歳、私と同じ年だ。すでに夢破れて第二の人生を歩んでいる選手、年俸何億円という一流選手…色々いる。しかし、彼らは球界という社会で日々汗や涙を流し、努力を重ねていたのだろう。
あれから、私は一体何をしてきたのだろう。 人生、焦らなくてもいいとは思うが、ふとむなしさが胸の中を吹き抜けた。
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