最近親父とよく酒を呑みに行く。
理由は・・・おもしろいからだ。
今まで見えてなかった親父のすごさや、 逆につまらなさが見えてくる。
親父にとってもそうだろうと思う。
この年になって分かることはやっぱりあった。
「やってみなきゃわからない」
それはいい意味でも悪い意味でも働くようだ。
モチベーションというのは難しい。 つまり、「心のコンディション」という表現に近いところにある。
いつも高めていられるはずもなく、 上がったら落ちる。 運と同じだ。
「大殺界」の反対を僕は知らないし、信じてもいないが、 何処かで思うことがある。
「幸せには裏側があるし、不幸せにも裏側がある」
情熱を出せるということはそれをだせないこともある。
非常に悩み、妥協したくなかった問題だった。
いつまでもずっとずっと燃え続けるのが一番いいのではないかと。 しかし、それを保つのは難しいことで、 なまけてしまうこともあるし、疲れてしまうこともある。
しかし、そこから這い上がる方法もなんとなくだが 見つかったような気がする。
親父は簡潔にしか話しをしない。 俺に無駄な説明はしない。
何故「無駄」か。
「当たり前」だからだ。
情熱を持つこと、真剣であること、仕事であること。
そんなことは当たり前だからだ。
よわっちぃ俺だから、そこを突き詰めたくなる。
お前は本当にやったのかと。 俺はやってるぞと。
しかし、そんな「低次元」ではないのだ。 もっと高い位置にある。
俺はまだまだだ。
だからこそ、親父と呑む価値がある。 アレは男だ。俺がありたいと思うべき姿がある。
優しく、強い男だ。 誇りと思われるだけの親父であると思う。
俺はその息子なのだから、 俺も俺で、生きねばならない。
熱く。情熱を持ってして。
非常に悩みがちだ。 どう生きればいいか どうすべきか。
解決の道はいつもそうだった。
悩み、苦しむことより、行動が一番大事だった。
慎重になり、考え、考え抜き、 それも大事だと思う。
本当にそれは大事だが、 ある程度になれば、動き出さねばならない。
俺に必要なのはそれだと思う。 それを意識せねばならない。
そのために、日記をつけねばならない。
一日一日の記録をつけねばならない。
誰かにカッコつける必要はない。
カッコええ姿だけ書く必要もない。 ありのままに生きればいい。
そういいながらも、努力した上でそれを言いたいのだ。
親父と4時間ほど呑んだ。 時には机をぶったたき、怒りあって、 お互いにむかつきながら、時に同調し、 そんな話し合いがおもしろかった。
楽しかった。
俺もいつかはこうなるのか。 息子に、こう思われるのか。
望むところだ。 俺もそう生きたいのだ。
考え抜いて生きたい。 努力を惜しまずに、生きたい。
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