Desert Beyond
ひさ



 I believe in yesterday

風なぎ。
風は音はたてずにのんびりとはしる。
その風は春になるために一度
誰にも断ることもせずに凪いだ。

たまにはいいと思って
生徒の家にあったビートルズのCDの
ありきたりだけどYesterdayを教材にして
わかるようなところをいくつか穴埋めにして
曲を楽しみながらリスニングの練習をした。
これ以上わからないというところまでいってから
その姉弟と一緒に曲の意味を考えていった。
Now I am half the man I used to be、か...。

今日は昨日より幾分さむかったけれど
昨日の春爛漫のような温暖な日までとはいかないが
なかなか春っぽい曇りの良き日だったと思う。
同級生達と昭和すぎる食堂に16時前にご飯を食べに行った。
高砂町にあるからさ、その食堂の名前は高砂食堂。
うん、そのまんまだよ。
伽藍とした店内。家庭用の小さな水槽に金魚が数匹。
沢山説明をすればよいのだろうけど
きっとそうすると高砂食堂の昔っぽさは
逆に失われて伝わるんだろうなと思う。
おじさんは僕らが店内に入ったときは
電卓と一枚の紙切れをテーブルにおいて
老眼鏡をかけながら何かしていた。
僕らが好きな席に着くと
老眼鏡をテーブルにおいて、寡黙にキッチンに向かった。

アルバイトの前に少しだけ眠った。
心臓の話をしたけれど
起き抜け一番に、人の体ってすごいなと思って
いつも動いてくれている心臓に感謝した。
きっと僕は心臓の病気でも何でもなくて
ただ健康な体なんだと思うけど
なんかそういう普段なんとも思わないところに
本気でありがたく思えるのっていいことだと思った。
だって生まれてから一度も止まったことはないんだよ。
楽しいときも悲しいときも
辛いときも怠けているときも
眠っているときもずーっと動いてくれているんだね。

ほうれんそうのおひたしは毎回失敗する。
食感が残るようにしようと思っても
余熱でどうにもやわらかすぎるほうれん草になってしまう。
だめだね。

ただ涙だけがだらしなく落ちるというような事はもうなく
自分で考え抜いても
はっきりとした結論のようなものに辿り着くような事もない。
喪失感や悲しみが波のように
心に絶え間なく押し寄せることもないわけで
ちょうど瀬戸内の海のように
沢山の想いは境界など何もなく
心に音もたてずに静かに揺れているのです。
風が吹けばきっと水面に波もたつのかもしれない。
でも今はそのようなこともなく。
風なぎ。

2006年03月09日(木)
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