Desert Beyond
ひさ



 幼児教室時代

ぽかんと歩いていると突然日記に書きたい事が頭に浮かぶ。
でもいざ家に帰ってくると頭に浮かんだ事は全て忘れている。
書ける時はスラスラ書けるけど、書けない時って書けない。

僕が四歳の時。千葉の団地に住んでいた。
いつも遊んでいた友達のまあちゃんとかっとくんも同じ団地。
僕は補助付の自転車に乗っていたのだが
団地から公道に出るには短い坂をのぼらなくてはならなかった。
僕は自転車をこいでその坂をのぼろうとするんだけど
だいたいは最後までのぼれず力尽きた。
力尽きた僕は坂の下に向けて後ろ向きに走り出す自転車を
うまくコントロールするのもままならず
そのまま無残にも自転車ごと転ぶか、横の壁に激突して
膝をすりむいたり頭を打ったりして、泣いた。
ガーっと自転車で助走をつけて坂をのぼりきれた時は
格別の達成感だったのも憶えている。
ある日曜日の朝、約束の決闘場にあらわれたガンマンの様に
僕は坂の下に自転車と共にあらわれた。
その朝も何を思ったのか坂に挑んだのだ。
まわりには誰もいない。
そして坂に向けて自転車をこぎだした。
ガーっとのぼる!!坂の上に近づくにつれてスピードが落ちる。
もうちょっと!ってところでついに僕は力尽きた。
自転車は一瞬止まったが、次の瞬間から後ろに下がりだす。
「ああ、また転ぶんだ」と思った瞬間
いつ現れたのか、あかねちゃんが自転車を止めてくれた。
僕は転ばずに済んだ。
まあちゃんのお姉ちゃんのあかねちゃん。
あかねちゃんのピアノを弾く音がたまに僕の家にも聴こえた。
今でもその事を思いだしてはあかねちゃんに感謝したりする。
僕は幼稚園の年長の時に千葉から大宮に引っ越して
それ以来まあちゃんともあかねちゃんとも会っていない。

買ったチョコレイトが大分減った。
パクパクと食べてしまった。

*****************************************************

買った鮭のかまを料理。
半分に割って両方オーブンに入れて焼く。
暫く焼いていたが両方同じじゃ面白くないと思い
片方はといだ米とだしと一緒に炊く事にする。
出来あがりはどうなることか。

この水のない街では新鮮な魚がなかなか手に入らない。
川はあるけど水がない。
自然の湖も池も沼もないのだ。
だから時々無性に魚が食べたくなる。日本人。

*****************************************************

かまは......
僕はあまり魚というものを食べ慣れていない。
というか、魚を食べるのが苦手なんだと思う。
家ではご飯を残すのはタブーだったので魚は食べてはいたけど
どうも小さな骨が気にくわなくて苦手なのだ。
それとは関係ないけれど
かまは想像してた様に素晴らしいものではなかった。
油がのっていたけど、かまだけに食べる場所は少ないし
ご飯と一緒に食べようとしていたのに
かまに夢中になっているうちにかまを全部食べ終わってしまった。
ご飯だけが残った。
..............
他におかずがないので、しょうがなく醤油ふりかけご飯にした。
どういうものかというと、醤油を少しかけてふりかけをかける。
時間をかけて作ったにもかかわらず気持ち的に不完全燃焼。

食後にレモネエドを一杯、飲んだ。



2001年10月24日(水)
初日 最新 目次