天使のながばなし
maki



 中庸

久しぶりにすこぶる調子の悪い一日。
家の買い物で外に出た以外は、ずっと家の中。
こんな日はおとなしくしてるに限る、
と思いながらもごそごそパソコンに向かったりする。

小林秀雄の「美を求める心」を開く。
エドガ−・ドガのパステル画がいつも気になる私。
「踊り子たち、ピンクと緑」とゆう作品。
しかもそれについて小林秀雄が書いてることといったら、
 
 私は、ドガの晩年のパステルの傑作の前を立ち去り難かった。
 デッサンからの奇蹟的な様式が生まれている
 その美しさの為ばかりではなかった。
 この絵の中にドガの絶望の凡てが隠れているという
 不思議な想念の為でもあった。

絶望の凡てが隠れている・・・う〜ん、この美しいパステル画に。
そう感じるのか・・・
でも美しさと絶望など、相反するものは極めれば極めるほど、
強烈に共存しあっていくようにも思えるなあ。
昨日のクリムトの絵にも感じた。生と死とか愛と悲しみのような。



中庸ってこと、考えた。
何事も偏るのは良くないってことをよく聞く。
何かを極めたり、その世界を追求するって、
外側から見たら偏ることではなかろうか。
どこかから見たら、すべてがどこかへ偏っているものじゃないのかな。
中庸っていったいどこだろう。
むしろ偏りたい気がするが。




2003年10月31日(金)
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