女房様とお呼びっ!
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2008年02月06日(水) |
共生 〜愛か都合か〜 |
割り切った関係、という言葉は、 あまりよいイメージじゃないけれど、私はさほど抵抗がない。 むしろ、合理的で平和な関係なんじゃないかと考える。 もちろん私だって感情の動物の端くれなので、愛に悩むこともあるけどね(笑
若い頃、人を愛したこともあるけれど、愛を取り沙汰するのは面倒で、 それよりも、手軽で気楽で気持ちいい割り切った関係を好んだ。
もっとも恋愛は、苦しみさえ甘やかな、極上の娯楽だ。 睦言に交わす言葉は官能そのもので、だから私は何度も愛を口にした。 けれど、相手が愛を言葉で確かめたがるとき、本気で困った。 いわんや、先々のことなんて、仄めかされた時点で逃げ出したものだ(笑
愛してくれと縋ったことはない。 ……や、けしてプライド云々じゃなくて。 縋ったところで人の気持ちをどうこうできるわけないから。
愛してくれよと詰られたことはある。 そう言われて、愛していれば哀しかった。 相手の気持ちをあがなう言葉とか、ましてモノなんてあるんだろうか。 愛してなければ誤魔化した、それくらいのものなのに。
そんな私だったけど、「犬」を降りた夫に、 「ボクはキミを愛してない」と断言されたときには、全然違った。 「私はこんなに愛しているのに…!」と割り切れなさに悶え、 「どうして…?」と泣いたり詰ったり縋ったりした。
困り果てた夫はそのたび、「情はあるよ」と私をなだめ、 それでもなお愛の言葉を欲しがる私に業を煮やしたかんじで、 「キミといると都合がいいんだ」と言い切った。
さすがにショックでしばらく煩悶したけれど、 やがて、理由はどうあれ一緒にいられるならと割り切ることにした。 夫の言う都合とは、SM趣味を隠さずにすむという卑近だけれど切実なもので、 それは私も同様だったし、なにより「夫を愛している」のは私の都合だしね。
それから15年の日常を重ね、私たちを結ぶ都合は、当時より格段に増えた。 時折激しく諍って、激昂のあまり、もう別れてやるーッと荒ぶる心中を、 ようよう制するのは、主にのっぴきならない都合のほうで、 「でも愛してる…」なんて感情は、今さら思いつきもしない(笑
かといって、私たち夫婦が割り切りのみで添うているとも思わない。 ま、私が勝手にそう思い込んでいるだけかもしれないけどね。
少なくとも今、「キミを愛していない」と言われても、たぶん平気だw
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