女房様とお呼びっ!
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2005年02月27日(日) 嘘でもいいから

最近ネット上で、ウヘェと頭を抱えてしまう文言に出会った。
しかも二日連続、別々の場所で。

それらは奇しくも内容的に符合していたが、各々異なる親記事につけられたコメントである。
一瞬、同一人物が投稿したのかと疑ったけど、よもやそんなことはあるまい。
この件によらず、こうしたシンクロニシティは、ままあることだし。
それはさておき、一体どんな内容だったか。

乱暴に括れば、
「奴隷が口にのぼせる、主に対する賞賛や評価は、本心から発せられたものではない」
意訳すると、
「奴隷が誉めても、奴隷だから誉めるんであって、鵜呑みにするな」
ってことになるかな。

ううーん、これまた乱暴過ぎる気がするけど、詳細に言及すると、
その内容にまで口出しすることになりかねないので、語意だけを粗く掬ってみた。

いやもぅ、まったくごもっともなのだが、しかし、
それは私にとって、わかっているけど、あまり考えたくないことである。
と同時に、考えたくないけれど、考えてしまうことだったり。
つまり、非常にセンシティブな、人様にはあまり触れて欲しくないことなんだね。
もちろん、先の文言は私に向けられたものではないけれど、
目にしてしまった以上、やはり身につまされて、動揺を免れなかった。



S女なんてやってると、S女というだけで無闇に奉られたり、盲目的に称えられたりする。
けど、まさか、それを額面どおりに受け取ったりはしない。
それらは、M魚的社交辞令だったり、下心満々のアプローチだったりするワケで。

別にM魚に限らずとも、
程度の差はあれ、こと下心が介在する男女間では、珍しくもないことだろう。
まぁM魚に限っては、のべつ仰ぎ見ることでM的快楽に浸るというケースもあろうか。

もっとも、赤の他人からどんな賛辞を受けようと、その真偽をいちいち斟酌する謂れはない。
たとえ心にもないことを…と苦々しく思ったとしても、
アァサヨデスカと受け流すのがせいぜいで、それで相手に詰め寄ったりもしない。
こちらも、せめて慇懃に礼を返すくらいか。
これをして、コイツ、世辞をまともに受けやがったと誹られようが、嘲われようが、
仕方のないことだと思う。

他方、特別な関係にある奴隷に奉られたり、称えられたりするとき、
私はどう受け止めればよいのか。
少なくとも、どうでもいい他人をあしらうほどに、それは簡単なことではない。

果たして、彼らは本心からそうするのか。
あるいは、主の機嫌を伺うためにおもねっているだけなのか。
最悪、そうすることで、逆説的に私を見下しているのか。



結論から言えば、私にとっては、そのいずれでも構わないのだ。
というか、そこに疑心を抱いても意味がないので、そう結論しているといったほうが正確かな。
疑いだしたらキリがないし、問い詰めたところで、きっと真相は藪の中だ。

それに、私はむしろ、奴隷には「嘘でもいいから誉めとけ」と要求してるくらいだから、
既にこの時点で、およその結論は出てるワケで(笑。
…と、冗談めかして聞こえるかもしれないが、実のところ、割と本気だ。

私はお調子者なので、誉められる自体気分がいい。
それが世辞に過ぎなかったり、よしんば見え透いた嘘であったり、
それらを「ナニイッテンダカ…」といなしたとしても、気分がいいに変わりないのだ。
聞きたくもない本当のことを突きつけられるよりは、よほど精神衛生に適ってる。
だからこそ、無理くり主ヅラして担がれている部分は否めない…てか、正直あるな(笑



とはいえ、奴隷が口にのぼす賞賛の全てが嘘とは思わない。
真偽はいずれにせよ、やはり本心から言っていることのほうが多いと思う。
それが、客観的に「本当のこと」ではなくてもね。

アバタがエクボに見えることもあろうし、
アバタにしか見えないけれど、エクボと信じたい場合もあるだろう。
だって、自分が仰ぎ見る人のアバタを認めてしまえば、
その人にぬかづく自分の存在意義すら失いかねないものねぇ。

もちろん、どれ程心酔してても、アバタはやっぱりアバタだと認めざるを得ないときもある。
このとき、それはアバタだと指摘すべきか否か。

これはもう、個人の価値観や相手との関係性によるもので、
指摘するのが衷心か、指摘しないのが思い遣りかは捉え方次第だ。
アバタと知りつつ、エクボが素敵ですぅとおもねるのもアリだろう。
私の場合はさて、どっちかな。
おもねなくてもいいけど、せめて見てみぬフリして欲しいかも(笑

…とか、奴隷の賛辞ひとつにしても、様々に解釈できるわけだけど、
私としては、本心はどうあれ、お互いに益があればそれでいいじゃん?と改めて。

嘘でもなんでも、私をイイ気分にしとけば、必然自分に返ってくることだもの。
私にしても、藪の中の真相つついて憂うより、そっとしといて暢気にいるのが平和だわ。



その意味で、相手が私を表面上は称えつつ、内心蔑んでいても結構だ。
卑下する対象に更に卑下されることに萌えるマゾヒズムがあるのは知っているし、
実際関わったこともあるけれど、そこまで見通した上で関係しているワケで。
端から真偽だの本心だの問うべくもない、むしろシンプルな共存、あるいは結託なのね。

蛇足ながら、そんなM性もないのに、無理を通して蔑みに至るとすれば、
これはもぅ不幸というか、ビジョンが甘いとしか言いようがないと思うよ。
私みたいに、嘘でもいいから誉めて欲しい、能天気な女もいるからサ(笑


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