女房様とお呼びっ!
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ソープで筆下ろしを果たした童貞クン、いっぱしの男になったつもりでいるかもしれないが、 世間の相場に照らせば、まるで序の口にもついてない。 金払ってしかヤったことがないという事実は、早晩、頭をもたぐだろう。 いわゆる素人童貞と呼ばれる状態は、 ただヤることだけが目的だった時代よりも、ずっと悩み深いに違いない。
言うまでもなく、素人の女とヤるのは手間も暇も、金だって諸々相応にかかるのだ。 ヤれたとしても、玄人の嬢みたいにはヨガってくれないし、当然サービスもしちゃくれない。 ましてや、ヤれば好きになってくれるほど、女心は易くない。 てか、素人女の場合、普通は好きになってもらえないとヤれない(笑。
素人童貞を捨てたいと思っても、ソープを一歩出れば、かくも厳しい現実が待っている。
◇
厳しい現実を免れて、一生素人童貞でいいやと開き直れば、よっぽど楽だ。 実際、女を口説いたり、色恋沙汰が面倒で、そうする人もいるだろう。 面倒以前に、物理的に女と関わる機会がなかったり、 機会を求めても得られない人だって、少なからずいるはずだ。 そして、やむなく桃源郷に戻る。
誰も彼もが女を口説き、恋愛を謳歌している・出来ると思ったら大間違いだ。 悲しいかな、これも、彼らがやがて知る、更に厳しい現実のひとつである。
同じ男と生まれて、 かたや素人童貞、かたや、モテモテとは言わずとも相応の縁に恵まれる。 なにゆえ、こんな不平等が起こるのか。 端から望まなければ済む話だが、望めど不遇をかこつのはなぜか。
◇
容姿だなんだと、逃れようのない宿命的な要因もあろうし、 まさに運命とでも呼ぶべき不運もあろう。 けれども、おおよそは、各々の裁量にかかると考える。
しかして、それは自分で培うものだ。 女を見る目も口説き方も、好きになってもらう方法も、誰ひとり授けてはくれない。 今どうにかなっている人も、どうにもならないときがあって、 どうにかしたい一心でどうにかしてきたから、どうにかなったわけで。
いささか極論になるが、どうにかしたいと思ってるのにどうにもならないのは、 その一心――どうにかしたい思いや、思いが駆る努力や忍耐――を中途にして、 どうにもならないやと諦めてしまうからではないか。
…もっとも、まさか、素人女とヤることだけが人生の目的ではないし、 男女の別なく、色事や恋愛などとは無縁に過ぎる人もいる。 ただ、そう割り切れるまで、あるいは納得するまでは、 何もかもが宙ぶらりんなまま、悩ましい日が続く。
◇
さて、本題。 クラブでしかSMプレイをしたことのないM魚について。
彼らもいわば素人童貞だ。 もっとも、M魚の場合、数の論理から素人とヤれる人のほうが少数派なので、 素人童貞でも引け目を感じることはない。 それどころか、素人とヤれるはずがないと思っている人も意外に多く、 SMは金払ってお世話になるものという認識も根強くある。 更には、素人との可能性を知りつつも、 SMは非日常と割り切るために、敢えて金銭を介在させる関係を選ぶとか。
その一方で、本物の素人童貞のように、 金払ってヤることに空しさや疑問を覚え、クラブを後にする組もある。 しかし、当然のこと、皆が皆希望を叶えられるはずもなく、かなりの割合で脱落していく。
確かに、ソープの外の現実よりも、クラブの外の現実のほうがはるかに厳しい。 もとより素人S女の絶対数は少なく、必然競争率が高くなるからだ。
しかしながら、その厳しさの様相は、両者にほとんど共通だと、私は思う。 そして、その難関を越えるために必要なのは、これも両者に同じく、 どうにかしたい一心なのではないか。
◇
「やっぱ、何でも出来るスゴイMじゃないと、相手にしてもらえないんでしょ?」
時折そんな声も聞こえるけど、これはキッパリ否定しておこう。 少なくとも、私が関わったM魚たちは該当しない。 身の回りで見聞きする実情に照らしても、 スゴイMだから相手にすることはあれど、そうじゃないから…という逆は、おおよそないと思う。
だいいち、各々に備わったM性なんて個性と同一なんだから、 スゴイのなんのと比べること自体、妙な話ではある(笑
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