女房様とお呼びっ!
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2004年12月07日(火) 素人童貞

ソープで筆下ろしを果たした童貞クン、いっぱしの男になったつもりでいるかもしれないが、
世間の相場に照らせば、まるで序の口にもついてない。
金払ってしかヤったことがないという事実は、早晩、頭をもたぐだろう。
いわゆる素人童貞と呼ばれる状態は、
ただヤることだけが目的だった時代よりも、ずっと悩み深いに違いない。

言うまでもなく、素人の女とヤるのは手間も暇も、金だって諸々相応にかかるのだ。
ヤれたとしても、玄人の嬢みたいにはヨガってくれないし、当然サービスもしちゃくれない。
ましてや、ヤれば好きになってくれるほど、女心は易くない。
てか、素人女の場合、普通は好きになってもらえないとヤれない(笑。

素人童貞を捨てたいと思っても、ソープを一歩出れば、かくも厳しい現実が待っている。



厳しい現実を免れて、一生素人童貞でいいやと開き直れば、よっぽど楽だ。
実際、女を口説いたり、色恋沙汰が面倒で、そうする人もいるだろう。
面倒以前に、物理的に女と関わる機会がなかったり、
機会を求めても得られない人だって、少なからずいるはずだ。
そして、やむなく桃源郷に戻る。

誰も彼もが女を口説き、恋愛を謳歌している・出来ると思ったら大間違いだ。
悲しいかな、これも、彼らがやがて知る、更に厳しい現実のひとつである。

同じ男と生まれて、
かたや素人童貞、かたや、モテモテとは言わずとも相応の縁に恵まれる。
なにゆえ、こんな不平等が起こるのか。
端から望まなければ済む話だが、望めど不遇をかこつのはなぜか。



容姿だなんだと、逃れようのない宿命的な要因もあろうし、
まさに運命とでも呼ぶべき不運もあろう。
けれども、おおよそは、各々の裁量にかかると考える。

しかして、それは自分で培うものだ。
女を見る目も口説き方も、好きになってもらう方法も、誰ひとり授けてはくれない。
今どうにかなっている人も、どうにもならないときがあって、
どうにかしたい一心でどうにかしてきたから、どうにかなったわけで。

いささか極論になるが、どうにかしたいと思ってるのにどうにもならないのは、
その一心――どうにかしたい思いや、思いが駆る努力や忍耐――を中途にして、
どうにもならないやと諦めてしまうからではないか。

…もっとも、まさか、素人女とヤることだけが人生の目的ではないし、
男女の別なく、色事や恋愛などとは無縁に過ぎる人もいる。
ただ、そう割り切れるまで、あるいは納得するまでは、
何もかもが宙ぶらりんなまま、悩ましい日が続く。



さて、本題。
クラブでしかSMプレイをしたことのないM魚について。

彼らもいわば素人童貞だ。
もっとも、M魚の場合、数の論理から素人とヤれる人のほうが少数派なので、
素人童貞でも引け目を感じることはない。
それどころか、素人とヤれるはずがないと思っている人も意外に多く、
SMは金払ってお世話になるものという認識も根強くある。
更には、素人との可能性を知りつつも、
SMは非日常と割り切るために、敢えて金銭を介在させる関係を選ぶとか。

その一方で、本物の素人童貞のように、
金払ってヤることに空しさや疑問を覚え、クラブを後にする組もある。
しかし、当然のこと、皆が皆希望を叶えられるはずもなく、かなりの割合で脱落していく。

確かに、ソープの外の現実よりも、クラブの外の現実のほうがはるかに厳しい。
もとより素人S女の絶対数は少なく、必然競争率が高くなるからだ。

しかしながら、その厳しさの様相は、両者にほとんど共通だと、私は思う。
そして、その難関を越えるために必要なのは、これも両者に同じく、
どうにかしたい一心なのではないか。



「やっぱ、何でも出来るスゴイMじゃないと、相手にしてもらえないんでしょ?」

時折そんな声も聞こえるけど、これはキッパリ否定しておこう。
少なくとも、私が関わったM魚たちは該当しない。
身の回りで見聞きする実情に照らしても、
スゴイMだから相手にすることはあれど、そうじゃないから…という逆は、おおよそないと思う。

だいいち、各々に備わったM性なんて個性と同一なんだから、
スゴイのなんのと比べること自体、妙な話ではある(笑


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