女房様とお呼びっ!
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2004年12月02日(木) カネの壁

私と対面するためだけに飛行機に乗ってやってきた彼は、
その始終、どこか落ち着かなさそうだった。
初対面ゆえの緊張もあったろうが、それよりも、
勢いに任せて踊り出てみたものの、そのまま立ち往生している感を受ける。


「あの頃のボク、まさにドン底で、色々話きいてもらってホント救われたんですよ…。
 あれから3年経って、どうにか喰えてますってこと、見て欲しかったのかな…」


はるばる私に逢いにきた理由を彼はそう語ったが、
まさかそれだけのために、多忙を縫って金使ったわけじゃないだろう。
語らずとも、そこには確固とした下心があったはずだ。
それなのに、私の質問にようよう答えるだけで、曖昧な表情で押し黙ったままにいる。

とはいえ、折角こうしてみえたのだし、乗りかかった舟とばかりに努めて話題をとってやり、
その甲斐あってか、ようやく彼の緊張が解れた頃合に、本音とおぼしき言葉がまろびでた。


「なんか、どうしていいかわかんないんですよね…。
 ボク、お金払ってしかS女さんと会ったことないから…」


実はこのとき、私は少なからず驚き、彼について大きな思い違いをしていたことを知る。

それまでに聞き及んでいた彼の経歴は、決して貧しいものではない。
彼が言及しなかったのが一番の原因だが、その充実ぶりから、
彼も私に同様、金銭を介さないSM関係を経験してきたと勝手に思い済ましていたのだ。



知り合った当初の彼は、
20代の頃に仕えた女にMとしての下地を作られ、
縁が切れてもなお心奪われたまま、彷徨っているのだと切々語った。

断ち切れない過去を背負う男と、
改めてしかるべき関係を持とうとするほど、私は酔狂ではない。
よほど思い入れがあれば別だけど、この経歴をして、早々私は彼を見切った。
それでも、ネット上であれ付き合いが続いたのは、
彷徨うこと自体に耽溺しているかのような彼の言葉に興を惹かれたからだ。
これはこれで、酔狂なことだと思うけど(笑。

次にネット上で彼を見かけたのは、私がよくロムしているオープンチャットで、
もちろん、そのときは彼を彼として認識していなかったものの、記憶にとまるM魚だった。

特徴的なプロフと、ああした場所に出入りするM魚にしては練れた印象。
いわく、遠方に住む友人のS女性を在所へ招き、プレイしたと言う。
それなりに経験を経て、SMの間柄であっても自由闊達に交友し、
また柔軟な関係を謳歌しているふうに見えた。

しかるに、その印象はすなわち、今の彼についての認識となった。
事前に届いたメールには、麗々しい言葉で「今もまだ彷徨い続けている」と綴られていたが、
件のM魚が彼であると知るや、ナンダ、よろしくやってんじゃんと、
正直、鼻白むような気持ちになったものだ。

彼が頻々とオープンに姿を見せるようになったのは、そのひと月前くらいから。
友人を招いて遊んだ近況が語られたのは、メールが届いたほんの少し前。
にわかに高揚しては納まりがつかず、古い記憶をたぐってまでも刺激を欲しているのだろう。
そこまで思い当たった上で、対面の申し出を受けた。

もっとも、いかに彼が「その気」でみえたとしても、私の琴線に触れなければ、どうもならない。
他方、なるときはなるようになるもので。
「今更連絡を寄越して、衝動だけでやってきて、さてどう出るつもり?」
と意地悪な興味があったのは事実だ。



しかし、彼には、打って出るべきノウハウがなかった。


「お金の関係なら、すぐにでも跪くことができるのに…」


言い訳めいた言葉が続く。
悲しいかな、彼はその経験をして、金に替わる交渉の術を持ち得ない。

もちろん、金銭の授受を約しても、それなりのやり取りは必要だろう。
けれども、余計なことを言わず、ただ粛々と任せてれば、おおよそ叶えられるだろうそれと、
主導権は相手にあるにしても、「その気」になってもらうための振る舞いは大きく違う。
どう振舞おうと、いなされるかもしれないリスクもつきまとうしね。

あまつさえ、自分からアプローチしておいて、
会えばどうにかしてもらえるなんてのは、百にひとつもないのではないか。
少なくとも、私はそう思う。

つまるところ、彼は私にとって、会うなり取って喰いたいほどの素材ではなかったので、
そんな奇跡は起きなかったということだ。



もっとも、私のほうこそ、彼にとって、
会ってみたものの、「その気」が失せた対象であった可能性も否めない。
どうすればいいかわからないと明かすことで、その失望を伝えていたのかもしれないし。

それならそれで構わない。
むしろ、そう納得してくれてれば、私も気が楽だ。


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