女房様とお呼びっ!
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2004年11月16日(火) 釣りの心得

ずっと以前、もはや昔といっていい頃。
とあるM魚に「**さんて、釣りヘタなんですよ…」と真顔で言われた。
忘れもしない。

いや、当時は「釣り」なんて符牒を使ってなかったから、その印象だけが強く残って、
その印象の記憶が、今にしてそう言語化されているのかもしれない。
要は、詰めが甘いと指摘されたのだ、M男性をゲットするにおいて。


「某さんとか上手いですよね?」
こう言われたのは確かだ。
苦笑しながら、相槌を打った。

彼女の場合、釣るというよりも狩るというかんじ。
狙った獲物は逃さず、喰らう。
的確に喉輪に噛み付いて、鮮やかに仕留める。
艶然としてためらわず、容赦なくトドメをさす。


「**さんて優しいし、構ってくれるし、こっちもいいかな〜とか思うんですけど…」
彼は言葉を濁したが、いわんとすることはわかる。
その気にさせといて、キメてくれないってことだろう?
M側としては、自分のほうに多少迷いがあろうと、強引にでも持ってって欲しいところか。

それに、その気充分でもM側が能動的にアクションを起すのはなかなか難しかろう。
目の前にぶら下げられた餌に食いついて、
あとはひたすら釣り上げられるのを待つ魚に、それ以上なす術があるはずもない。

しかし、思う頃合に釣り上げてもらえなければ、そりゃあ釣られる気になっている魚だって焦れてしまう。
折角その気になったのに…と落胆するか失望するか、
はたまた、気を持たせただけのこちらの態度に憤慨するか。
移ろいやすいM魚のこと、目の端に別な餌がちらつけば、そちらへ引き寄せられるも道理。
横合いから銛で突かれて、あっさり他所の食卓に上ることだってある。

つまり、釣りはタイミング。
いわんや竿を引き揚げずば、釣りにはならない。
まぁ、そういう至極当たり前のことを、やんわり皮肉を込めて言われてしまったのだね。



折々書いているように、私の男の歴史は、おおよそテレコミで培われてきた。
SM関係に限らず、ノンケのセフレも恋人も、果ては結婚相手まで(笑。

初対面の動機が既に、ヤるかヤられるかという安直な出会い。
表面上は、お食事でも〜なんてありきたりな言葉を交わしあうが、
双方ともに、相手の下心をギリギリと見据えて対峙する。
いや、端から「ヤる?」「うん、ヤろ!」なんてノリで会うのも、そう珍しいことじゃなかった。

もちろん、会ってもヤらないこともある。
数から言えば、そのほうが圧倒的に多かった。
ヤらないままに付き合いの続く場合も少なからずあったが、
一緒に飲んだり仕事したりする中で、じゃ改めてヤる?って成行きになったためしはない。
冗談めかして水向けたところで、「今更なぁ…」となる。
それは、こっちにしてもご同様なので、何の問題もなかった。

やはり、これもタイミング如何なのだ。
会って即日、あるいは次回くらいまでにキメないと、後はない。
そうして始めた関係が、一回こっきり、ゆきずり同然に終わろうと、
肉の相性があってセフレになろうと、身を焦がすほどの恋愛に発展しようと、
全ては初動の瞬発力にかかっている。

裏を返せば、私は人並みの手続きを踏んで、男と関係したことがないわけで。
『最初はただの友達だったんですけど、段々好きになって…』とか、
『初キスは付き合ってから三ヶ月目で…』なんて段取りが、全く親身に想像できない。
女と生まれて、そういうロマンスに無縁なのは、自分でもどうかと思うし、
ちょっと寂しいような気もする(笑。

それはさておき、じゃあ、初動の鍵を握るのは何かといえば、その気になるかならないか。
もの凄く当たり前で単純なことだが、これ以外に理由がないので、敢えて書く。
ヤりたいと思えばヤる。そう思えなければ、ヤらない。

確かに、もののはずみで、あるいはなし崩しになんてこともあったけど、
例えば、『愛しているから…』とか『この人ならいいと思って…』とか、
感情や理性に基づく動機を持ち得なかった私にとって、本能や直感に従うことだけが動機たりえたのだ。



「うーん、色々考えちゃうと手を出せなかったりね…」
先のM魚の指摘を受けて、言い訳がましく答えてみた。
事実、後先考えてしまうこともあるしね。

けれども、本音としては、そうじゃない。
色々考えてしまう時点で、少なくとも私にとっては、アウトなのだ(笑。
私の「その気」は、そんなにお行儀よろしくない。
釣り上げる気がなかったから、釣らなかった…それだけのことだ。


余談ながら、後日、私はその彼を釣った。
それこそ、もののはずみで。
別に、この時の意趣を晴らしたワケじゃない(笑


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