女房様とお呼びっ!
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イリコは、自身が「人間になった」ときのことを、後日こう記している。
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**様が泣いておられるところを拝見したのは、3年前の一件以来2度目です。(註※) その時とは違い、声こそ出されなかったものの、細く長い啜り泣きが続きました。 私は、**様が泣きも笑いもする「人」であるということを、この時初めて理解したのかもしれません。 **様は「タダノヒト」に戻ったと書かれておりましたが、この時私もそう思ったわけではありません。 しかしその時、私の心中にそれまでに無かった転回というか、転機が訪れたことは確かでした。
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これを読んだのは、その出来事から半年も過ぎた頃ではあったが、 ようやくわかってくれたのかと心底嬉しく思ったものだ。
先の事件で互いのありように危機感を覚えて以降、『ワタクシはヒトである』と訴え続けた。 結局、奴がそのことを受け入れてくれたのは上のような次第で、 その訴えは届いてなかったことになるが、それでも報われた気分で胸が一杯になった。
今となれば、ウダウダ理屈を捏ねるよりも、さっさと泣いとけばよかったのきゃ? などと冗談半分に思うけれど、 私も奴も頭デッカチなので、どうにも回り道をしてしまう。
◇
実際、私が奴の前で泣いたのは、このときが初めてだ。 文中でニ度目となっているのは、奴の記憶違いで、三年前のそれは電話越しだった。 以後、奴の前で泣いたことはないし、泣きたいと思ったこともない。
友人の通夜に伴ってさえ、奴には涙を見せなかった。 いや、奴の目があると泣くに泣けなかったというのが、正確なところだ。 それでも、弔問に訪れる親しい顔に出会えば、当然のこと涙腺が緩んでしまう。 仕方なく、奴を通夜振る舞いの席に残し、遂には外の車で待たせて、 奴の目を逃れては泣いた。
改めてとなるが、私は別に「主たるもの奴隷の前で泣くべからず」なんて思ってないし、 元々人前で泣くことにさほど抵抗のあるほうでもない。 が、こと奴に対しては、そういう姿を見たくないと請われたせいもあって、 見せてはならないという機制が強く働いていたようだ。 しかし、その実、私もまた、見せたくなかったのだと今にして気付く。
つまるところ、私がヒトとして認識されなかったのは、自業自得ということか。 そう考えると、ちょっとやるせない。 けどまぁ、大切な友人が亡くなってさえ、涙のひとつもこぼさないとなれば、 確かにヒトらしくは見えないよなぁとは思う。
やはり、人はヒトとして然るべき感情を備えてこそ、ヒトなのだ。 人とあれば、その感情を授受してこそ、互いのヒトを尊重し思いやる関係が育つのだろう。
◇
そう言えば、奴は「ロボットだった」くせに、負の感情だけは露わにしていた。 むろん、元は生身の人間なのだから、当然と言えば当然だ。 そのくせ、これも当然あったはずの、 楽しいとか嬉しいとか、そういうポジティブな感情を表すことが殆どなかった。 なぜか?
「マゾヒズム的には、そうした感情を出すのは憚られまして……」
ヒトに戻った奴が言う。 ナンダソレ?と笑ってしまったが、 そうした無茶を望むことこそが、性癖が性癖たる厄介さなんだろう。 恐らくは、これと同次元で、奴は私の負の感情に接することを拒んだのかもしれない。 そして、私は私で奴の無茶を了承し、あまつさえ同調しては、自分にもまた無茶を強いたのだ。
泣いてはいけない私も笑ってはいけない奴も、ヒトらしさからは程遠い。 ヒトらしくない者同士、どうしてヒトらしい関係が育つだろうか。 いわんや、互いにヒトらしさを欠いたままで、 「我はヒトなり、彼もヒトなり」と言い募っても、届こうはずがない。 それこそ無茶な話だわと、今更に苦笑してしまう。
◇
つまり、奴に同様、私も「人間でなかった」のだ。 だからこそ、私が人間になったことで、奴もヒトに戻るという転機を得るにいたった。
「でも、一番決定的だったのは、病室でのお姿にまみえたことですね…。 あれは、私にとって、天皇の人間宣言なみの衝撃でした… 」
またしても、ソンナコトデ…と脱力するような驚きを覚えたが、 こればかりは、さっさと入院しとけばよかったのきゃ?というワケにもいかない。
あのときはバチが当たったと思ったけれど、それ以上に深遠な天の采配だったということか。 ともあれ、人智を超えた巡りに感謝するよりほかない。
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