女房様とお呼びっ!
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今にして思えば、イリコが’執事’という言葉を用いたのは、 単に表現上、もったいつけてみただけだったような気がする。
だいたい普段から、小難しい言い回しをするのが好きな輩だ。 書き言葉は言うに及ばず、口頭でも、難解な熟語や英単語を交えて喋りたがる。 語彙が豊富なのは認めるが、もっと平易にモノが言えんのか?と呆れることもしばしばだ。
関わり始めた当初、まだ互いを探っている頃に、奴はこんなことを言って寄越した。
> 私は、Mとは3つの要素で構成されているのではないかと考えています。 > スレイブ(奴隷) サーバント(召使) エスコート(露払いもしくは護衛) > スレイブであることだけが、Mとしての喜びであるとは思っておりません。 > サーバント、もしくはエスコートであることにも、Mとしての喜びはあると考えております。
つまりだ、執事の何たるかも知らず、 この3つの要素を足して色つけたら、’執事’という言葉になりましたってところか。 そう考えれば、奴の言う’執事’なら、ロボットにも勤まるかもしれない。
一方私にあっては、今の今までそんな風には思いもよらず、 ただただ’執事’という言葉に、これまた身勝手な望みを託してしまったわけで、 どっちもどっち、短絡だよなぁと苦笑するばかりだ。
◇
ともかく、「奴がロボットであった」という発想は、私の理解に劇的な展開を招いた。 極論だと承知しつつも、そう考えると、奴に係る憂いや懸念がいとも簡単に晴れていくのだ。 その絶大な威力の前に、最前の「ソンナバカナ?!」という抵抗はかき消えて、この発想にハマってしまう。 まるで魔法の杖を得たような驚きと興奮を覚えつつ、あれもそうか、これもそうかと得心がいく。
思うに、私にとって、思い通りにならないことよりも、 結果はどうあれ、どうしてそうなったかに納得することのほうが重要らしい。 確かに、不如意な結果にはそれなりに落胆するけれど、そうなる原因が腑に落ちれば、相当楽になる。 極端な話、納得できるのであれば、それがこじつけだろうが合理化だろうが構わない。
それくらい、ワケのわからないことが苦手なのだ。 もちろん、何もかもワケがわかろうはずもないことは知っている。 それでも、やっぱり苦手に変わりなく、解を求めて足掻き続けたこれまでだった。
それが、この魔法の杖一本で、瞬く間に解決していくのだ。 素晴らしい。
その驚くべき整合ぶりに、 「奴がロボットであった」ことは、もはや可能性ではなく、歴然とした事実に思えてくる。 もちろん、事実であれば、振り返ればこそ、やりきれなさを感じずにはいられない。 けれども、これ程合理的な解を導いてくれるこの杖を、今更手放せようか…。
そんなワケで、私の中では、奴がロボットであったことは、事実として決定してしまった。 この期に及べば、奴の反論を待つ余地はない。
◇
気持ちに決着がつくと、俄然面白くなってきた。 しばらく、このロボットねたで遊べそうだ。期待に胸がはやる。 これまで考えてみたこともなかっただけに、次から次へと思考が転がっていく。
「でもさぁ、ロボットなのに時々プログラム通りに動かなかったよね?なんで?」 「はぁ…それは自分でもわかりません…」
実に愉快だ。
「本気で知恵が足りないのかって心配したこともあるのよ?ワケがわかってよかったわ(笑」 「はぁ…すみません…」
いやいや、愉快だ。
でも、正直なところ、 コイツはこれでまともな社会生活を送っているのかと疑ったことは、一度や二度ではなく、 本心から、奴は望んで「考えなかった」のだと思いたかった。
◇
帰り際、ふと思い立って訊く。
「で、いつから、キミは人間になったの?」 「一年前からです。」
ためらいなく奴が答えて、その返答にしみじみと胸が深くなる。 時間というものは、こうして紡がれていくものらしい。
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