女房様とお呼びっ!
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2004年05月03日(月) 忙中閑話


 ※掲題に絡み、恥ずかしながらワタクシ、
  割と最近まで「閑話休題」の意味をまったく逆にとらえていた。
  遡れば、ここの過去ログの中にも、その痛い勘違いを晒している…(再痛)
  ちなみに、上記掲題は造語。念のため(笑




先に話題した、イリコの感じていた「寂寥感」について。
当時を回想して書き記すうち、今にして思い至ったことがある。

あの一件によらず、その以前から、
奴には自身がダメージを負ったときに、そのこと自体に拘泥する傾向があった。
簡単に言えば、いつまでも
「ボクは傷ついたんです…まだ痛いんです辛いんです…」と言い募るような印象。

もちろん、傷ついたこともまだ痛むことも辛いことも事実であれば、
それを他者に表明するのに憚ることもないと思う。
しかし、その他者もまた、同じ禍を被った当事者である場合
―すなわち、奴とのこれまでの次第においては必ずや私であるのだが、
少なくとも私の場合、そう言い募られるごと、責められているようで落ち着かないのだ。
何度も言われると、腹立たしくさえある。

むろん、私が一方的に傷つけたのなら、幾度責められても甘んじよう。
しかし、同じ禍にあっては私も何らかのダメージを負っているわけで、
かといって「ワタシも傷ついたのよ」と返すに忍びなく、どうにもやるせない気持ちになる。
ましてや、その禍が専ら奴が招いたもので、
つまりは自業自得の結果を「傷ついたんです」とやられた日には、どうしていいかわからなくなる。
この一連の感情のゆくえには、自分の狭量さをつくづく思い知らされるのだが。

もっとも他方、私は奴に起こる変化をなるべく正確に知りたいとも思っている。
だから、事実を正直そのままに言い募られても、疎んじるゆえんはない。
もちろん、理性はその判断に留まり、だからこそ感情を抑えてようよう聞くのだが、
その実不快に揺らぐ感情を持て余しているわけだ。



こうした事情から、奴が「寂寥感」を訴えた折も、私は不快な心持になった。
加えて、奴には恨みがましい気持ちを抱いていたので、尚更苛々と考えを巡らした。
そして、それが奴のプライドに関わるものと思い至っては、マタカヨとうんざりした気分にもなった。

以前から、奴のプライドにはさんざん悩まされてきた。
もちろん、奴隷のくせにプライドなんて…などと極論を言うつもりはない。
ただ、私との関係においてさえ、奴が頑なにプライドにしがみつくのが気に入らない、
というか解せないのだ。
大切な人との関わりにおいて、なにゆえプライドが優先されるのか?
もっともそれは私固有の価値観で、奴のそれとは違うというだけなんだろう。



と、ここに気付いて、今一度当時の奴の心象を思う。

確かに奴はプライドが高い。
すなわち、奴の価値観においてプライドは何より大切であるということか。
恐らく、私が思うよりずっと気高いものなんだろう。
とすれば、僅かに傷ついてさえ、奴は相当のダメージを受けるに違いない。
それも、私の想像をはるかに越えて。

あの一連の出来事の中で、奴は「耐えられない自分」に出会い、
あろうことか「人前で醜悪な自分を曝け出す」に至った。
そのいずれもが、奴には大きな失望を招き、そのプライドは深く傷ついたことだろう。
殊に奴の場合、「あるべき自分」への執着が強いので、
その失望たるや絶望に近く、その傷もまた致命的なものだったかもしれない。

そう思えば、奴の「寂寥感」は私の理解に近くなる。
むろん、奴が真正絶望したとは思わない。
が、その淵に立つだけでもどれ程心細かったことだろう。

けれど、いつか不幸にも本当の絶望に堕ちたなら、
その「寂寥感」を訴える相手さえいないのだよ、イリコ(笑。


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