女房様とお呼びっ!
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2003年10月25日(土) 海辺のホテルにて 番外

これまでも、奴は何度も私の前で泣いている。
ときにそれは号泣となり、身も世もなく泣き果てるという経過を辿った。

そして、その始終を私は黙って見守ってきた。
泣くなとも言わず、かといって慰めるでもなく、ただ見ているだけだ。
冷たいようだが、奴が声を上げて泣くとき、奴自身も私の介在を拒絶している風に感じるのだ。
いや、全くそうであるとは思わない。
少なくとも、私と共にあって泣く必然があるのだから。

その度に、奴は「醜態をお見せしました」と詫びてくる。
確かに大のオトナが人前で大泣きするのは、みっともないことかもしれない。
けれど、親密な関係にあれば、それは決して醜態ではないだろう。
まして私たちの関わりにおいては、問うべくもない。
少なくとも私は、奴のみっともなさを許容するし、愛してさえいる。

しかし恐らく本人としては、みっともない自分を受け入れかねているのだろう。
たとえ、行為の上で数々の醜態を晒してきたにしても、それとは別次元で許容してないように感じるのだ。
いや、ことによると、行為の中で余儀なくされるみっともなさすら、
奴にとっては往々受け入れ難いのかもしれないけれど…。



随分以前、奴が「醜態」と詫びる泣き方をしたときのこと。
激しくしゃくりあげるのを見かねて、「思う存分泣いていいよ」と言うと、
奴は、即座に浴室に逃げ込もうとした。
「すぐそうやって隠れようとする」と叱りつけて、結局奴は居室の隅っこで大泣きしたのだが、
この次第は、私たち相互の許容に係る本質的なずれを象徴する出来事のように今にして思う。

あのとき、奴はみっともない自分を私に見られたくなかったのだ。
そして今でも、号泣する奴がまとう近寄り難さは、すなわち奴が逃げ込む目に見えない壁なんだろう。
その壁の内、奴は自分自身への許し難さに悶え、いわんや私の許容を受け入れようはずもない。
つまり、奴自身がみっともない自分を許容しない限り、
いくら私が許しても、許そうとしても、奴には届かないのではないか。

その壁の正体が何であるか、私は知っている。
いや、きっと奴もわかっていることと思う。



この対面の以前、奴はメールで「許されたかったが、許しを請うことが出来なかった」と言った。
「何度も、許して下さいと言おうと思った」とも明かした。
が、結局自分をさらけ出すことが出来ず、これが自分の限界と実感したという。

しかし、奴は本心から許されたいと思ったろうか。
寧ろ、私に許されるを免れて、またも浴室に逃げ込んだのではないか。
ましてや、その心底には血反吐のように張り付く私への怒りがあったのだから、
許されたいどころか、許されない自分がその相手を許さねばならない理不尽に苦悩したに違いない。

それでも奴は、「奴隷の役として、全てを受け入れよう」と自分に課して、
当然のこと苦しみ、果ては曰く「苦しむ自分に嫌悪する」状態に陥ってしまったのだと思う。
そして、壁の内側でひとり悶え苦しんだ末、力尽きてしまったわけだ。

一方壁のこちら側、私はどうしてやることもできず、ただ待っていた。
あまつさえ奴を更に追い込んでは、苦しみから奴が壁を穿ち、助けを求めるかと期待した。
しかし私は、奴を救うどころか、知らぬうちに見殺しにしてしまったのだ。
奴が吐露した私への怒りは、この結果をして当然のものだと思う。

けれど、奴の巡らす厚く高い壁が、厳然と私を拒むのも事実だ。
結果的に奴は私の下へ戻ってきたが、その壁までも払われたわけではない。



私はどうすればいいのだろう。
どうしたら、あの壁を払うことが出来るのだろう。
いや、自分の手でどうにかしたいと思うことが、既に不遜な考えなのかもしれない。
そう思ったがために、奴には余計な苦しみを与え、必然私にも罰が当たったのだから。

あの壁は、奴が自らの手で払わない限り、きっとどうしようもないのだ。
つまり、奴が壁を必要とする限り、私はあの壁に阻まれ続けるということだ。
もし必要がなくなるとすれば、それは、奴が自身のみっともなさを許容し、
私に晒していいと思えるようになるときだろう。
そうなるためには、そう思い切れるほどの信頼が、奴の中に育たねばならない。

すなわち、あの壁に阻まれる限り、私は信頼に程遠いことになる。
その厳しい現実が、今回の成り行きにおいて、はっきりわかってしまった。
許されようとも頼ろうともせず、壁の内に留まる奴に、もはや私への信頼などあろうはずがない。
とすれば、私に出来ることは、奴の信頼を取り戻すべくどうにかすることだけだ。

でも…、それこそ、私はどうすればいいのだろう。
これまでを振り返るだに、どうしていいかわからなくなる。
私が私である限り、どうにもならないような気さえする。

それでも諦めきれず、こうして足掻いている。


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