女房様とお呼びっ!
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2003年10月22日(水) |
海辺のホテルにて 3 |
奴が静かに語り終えて、また沈黙が訪れる。
終わってみれば、それは先の宵にメッセンジャーで聞かされたことを改めてなぞっただけで、 対面している甲斐もない。 同じ話を聞くにしても、実体があれば伝わるものがあるかと期待したのだが。 幾分がっかりした心持で次の展開を探すも、依然現実感に乏しい。
かたや、滞りなく口上を述べて荷が下りたのか、奴の表情はすっきりしたものだ。 話すべきことが尽きたのだろう、それ以上言葉を継ぐ気配もない。
◇
奴の言わんとすることはつまり、 奴隷を務める自信も意義もなくなったので辞めたいと、そういうことだ。
このひと月の辛さは自業自得の甘受すべきもので、かつ、 奴隷としては、どのような辛さであろうと耐えねばならないと踏ん張っていたが、 その心根が折れてしまったと言う。
では、それはいつのことかと問えば、 「一週間前にお送りしたときです。」と答える。
奴隷の責と弁えて耐えていたのが、意に反し気力が潰えた自分に失望し、 ひいては、奴隷たり得ることに限界をみたと。 あまつさえ、甘んじるべき辛さに寧ろ苦しむ自分が奴隷であることに、意味を見出せなくなったと。 それが来し方一週間に奴が辿り着いた結論らしい。
◇
一週間か…と私は考え込む。 二年半の歴史が、わずか7日で決着してしまったわけだ。
確かに物事に区切りをつける決断に、それまでの集積は関与しない。 むしろ関われば、決断を臆することになろう。 確かに過去を振り返れば葛藤もあろうが、一度区切りをつけんとすれば、 これを納めるに足る理由や展望が育つのに、一週間もあれば充分だ。 とすれば、私には急なことに思えても、奴には必然の成り行きなのかもしれない。
殊に、奴は自身が納得できない状況や分の悪い立場に留まるのが苦手だ。 いや、誰しもそうだろうが、奴の場合、予想を上回る早さで自分の足場を整えてみせる。 もっとも、足場を組むに逸って、掻き集めた論拠や言い訳は殆ど主観的なものとなりがちで、 それは往々却って足元をすくう結果を見るのだが、とにかく自負を保つことが先決らしい。
今回も奴は、自分の中だけで足場を組み上げた。 だから、たった一週間で結論出来たのだし、袂を別つ決断となれば、主観に拠るのも仕方ない。 いくら相手ありきの問題であっても、関係を断つと発想した時点で、 そこまでの相手に対する信頼は、失墜していると考えざるを得ないだろう。 こうなった以上、私の観点から、自己中心的だとか短絡に過ぎるとか非難しようもない。
◇
ただ、その信頼以前、情の部分に奴はどう折り合いをつけたのだろう。 淡々と述べられた口上は、まるで職業上の任を辞するに似て、情は尽きたかのようだった。
いや、尽きたからこそ、今があるのか。 確かに並みの関係でさえ、別れを切り出すに愛想が尽きたと言明するのは憚られるものだ。 大抵は、別の理由をつけて引導を渡す。 それは、メッセンジャーで奴の言い分を受けたときに、既に予想出来た。
しかし、その一方で、 依然情はあるものの、辛い状況に耐えかねて身を辞す発想に陥ったのかとも考えた。 願わくば、そうであって欲しいと期待した。 いや…正直に言えば、そうタカを括っていた節もある。
ところが、目の前で語る奴は、情の部分での葛藤を殆ど感じさせなかった。 奴隷を辞めたい理由はともかく、そのことがどうにも腑に落ちない。 二年半も付き合っておいて、かくもあっさり割り切れるのか。
◇
その想いが、またもつまらない質問を投げさせる。
「キミは奴隷になりたくて奴隷になったの?それとも、私を好きで奴隷になったの?」
「**様を好きで、です。」
「じゃ、奴隷を辞めようと思う前までは好きだったの?」
「そうですね…。」
「じゃ、今は?」
「嫌悪感を感じない程度です。」
奴としては、至極正直に答えたのだろう。 しかし私は、まさかそんな答えが返ってくると予想だにせず、絶句した。 そして、ようやくのこと、シビアな現実感が身の内に湧き上がるのを感じた。
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