女房様とお呼びっ!
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2003年10月21日(火) |
海辺のホテルにて 2 |
タダノヒトの顔を取り戻した奴が、淡々と話を紡ぐ。 まるで過ぎた日の思い出を語るかのように、表情も声音も穏やかだ。 奴の中で、夢は既に決着しているのだろう、ゆっくりとではあるが、その言葉は澱みない。 ときに、何かを確認するように呼吸をおくのが、 ’だからどうぞ諦めて下さい’と言わんばかりで切なかった。
私は椅子に深く腰掛けて、殆ど窓の外に視線を貼り付けたまま、それらを聞いた。 目を合わせようにも、そこにいるのはやはり見知らぬ人のようで怖じたのだ。 そのせいか、奴の言葉が届く隙を縫って、余計なことばかり思う。 時折奴の顔を盗み見るようにしては、普段はちゃんとオトコの顔なんだと感心したり、 こんな風に話すのかと思ったりした。
そう言えば、いつだかに奴が自分を評して「冷静沈着なほうです」と言ったことがある。 奴の奴隷の顔しか知らない私には、当時全く実感がわかなくて、 「嘘でしょ?」と笑い飛ばしたのだが、それはあながち嘘ではなかったらしい。
人は窮地に立たされると、往々に意識を散らして逃避する。 決して上の空でいたつもりはないが、私もまた、この局面にして集中を欠いていた。 しかしながら、そうなる原因のいまひとつは、穏やか過ぎるこの状況が酷く嘘っぽく感じていたからだ。 自身の経験に照らして、それはあまりに現実味がなくて、落ち着かなかった。
◇
実のところ私は、自分の奴隷と見なした人とまともに別れ話をしたことがない。 いや、まともな暇乞いすら受けたことがない。いわんや、自分から切って捨てたこともない。 自分でも実に不甲斐なく恥ずかしい話だが、全て逃げられている。 いつのまにやら取り残されて、アテなく待ち呆けて、ようやく終わったことを知る。 もっとも、お陰で夢が夢のままとなり、 ’今でも彼らは私の奴隷’なんてお目出度い夢を見続けているワケだ。
もちろん、主従といわずともSMの関係にあって、きちんと袂を別った人もいる。 たかだかの男遍歴ではあるが、並みの男女間の別れも経験した。 いずれも、それなりに情を交わした歴史があって、その関係に決着をつける場面は当然シリアスなものとなった。 ベクトルは違うにせよ、各々の感情が昂ぶって、ときに諍い、声を荒げ、私はその度泣き叫んだ。 好きあうときも別れゆくときも、魂を削るように相手と対峙した。
確かに世の中には、穏やかに関係を納めるカップルもあると聞く。 ’主従’なんて型を重んじる間柄であれば、 契約書を破棄するように、あっさり関係を断つのもあり得ることとは思う。 だからといって、それらの関係が真剣味に欠けるとか、薄っぺらいとは思わない。 どう納めるかは、単にそのカップルごとが選んだ方法に過ぎず、 要は、個々の性格だか器だかによるのだろう。
しかし、私には、そんな風にコトを終える器量がない。 だから、奴がひたすら穏やかにそこにあるのが、とても不思議だった。 なんだか自分が芝居の書割になったようで、このまま奴の台本どおりに幕が降りるような気さえした。
そう思うだに、かつて奴が私をフったときも、 実にあっさりと引導を渡されたなぁとデジャヴさながらに記憶が呼ばれる。 これが、奴のやり方なんだろうか。
◇
対話は未だ核心に触れてなかったが、気になってしょうがなくて、今更の質問を投げた。
「キミがメールの体裁を変えたことで、今回はこういう機会が持てたけど、 私が気づかないまま、指摘しないままにいたら、どうなってたの?」
「まだ完了してない課題を終えてから、お別れのメールを書こうと思ってました。」
その答えに、思わず溜息が出る。 遅かれ早かれ、いずれこうなっていたのだ、つまり。 いや…、奴の筋書きに沿えば、私は余計な真似をしてしまったのかもしれない。
そして、ようやくにして思い知る。 ふたりで見ていたはずの夢は、蓋を開けるときっぱりと区別されていて、 奴にあっては、単に自分の見ていた夢から醒めてしまったに過ぎないのだ、と。 それで、私不在のまま、奴ひとりの中で何もかもを完結させてしまえるんだろう。 もちろん、それなりの葛藤はあったろうが、それも奴だけのものであって…。
結局、私は奴の夢の中の登場人物でしかなかったのだろうか。 突如として襲うやりきれなさが、痛みとなって体を巡った。
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