女房様とお呼びっ!
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2003年10月20日(月) 海辺のホテルにて 1

あれこれと思案した末、海辺に建つホテルをとった。

夢のゆくえを見届けるのは、どうしたってシリアスな展開となるだろう。
奴はともかく、私自身が取り乱してしまうかもしれない。
密室ならばラブホテルでもと考えたが、
外光と遮断されては、それだけで心が荒んでしまう。とても正気でいられそうにない。
たとえ、このまま静かに終焉を迎えるにしても、
街中でハイサヨウナラと右と左に別れるのは忍びなかった。



いつものように奴に迎えに来てもらい、ホテルを目指す。

道すがら、これまで何度も伴っているマーケットで買い物をした。
みずみずしい赤いトマトが目に付いて、迷わずカゴに入れる。
不安な気持ちを誤魔化すように、次々と買い込む。
せめて、これしきのものでも豊かにあれば、少しは慰められるだろう。
そんな一心からだった。

奴はカゴを携えて、私の数歩後ろをついてくる。
キミの欲しいものは?と声をかけると、少し迷ってから、筒っぽのポテトチップスを差し出した。
その様が酷くあどけなく見えて、なんだか切ない。
いつもなら精算を任せるのを差し置いて、自分で払う。
カゴ一杯の豊かさはしかし一万円にも満たず、その場しのぎの思いつきに苦笑した。

後に聞けば、奴にはこの時ようやく、自身がホテルに同伴するのだと理解したらしい。
確かに行き先のみを伝えての道行きだったが、
そう思わせてしまった、思われてしまったことを知り、なんだか情けなかった。
こんな重大な問題を’直に話す’という意味を、奴はどのように捉えていたのだろう。
どんな展開を予想していたのだろう。



初めて訪れたそのホテルは、急拵えした張りぼてのリゾート然として、どこもかしこもうら寂しい。
客室に大きく切った窓からは、遊園地よろしく軽薄な町並みが見えた。
その向こう、観覧車に遮られつつも拡がる空に、わずかに息をつく。
心持のせいなのか、白を基調とした内装さえ疎ましく、窓辺に椅子を据えて、空ばかり見ていた。

その傍らで、奴がいつものように働く。
相変わらずモタモタと荷物を始末するのを目の端に入れながら、
この期に及べば、さほど苛つきもしない。やかましく口を出すこともない。

恐ろしく静かに時が過ぎていく。
確かに心底はこの先の展開に怯えているのだが、その表面が不思議に凪ぐ。
刑の執行を待つ罪人の心持はこんなかしら…とアテなく思った。

ひと段落した奴が、着衣のまま、床に控える。
その位置は、私の正面をわずかに外し、テーブルを隔てて遠い。
それが今の奴にとって適正な場所なのか、既に私にはわかりかねて、特に指示も与えず捨て置く。
椅子を勧めることもしなかった。
奴の意のままにあれば、その答えはやがて分かることだろう。
少なくとも、奴は徐々に距離を取り始めているらしい。

穏やかにして沈鬱な空気の中、当り障りのない話が続く。
核心を遠巻きにして交わす会話は、寒々しくて落ち着かない。
それなのに、時折笑い声まであげてヨタ話をしてしまう自分が恨めしかった。



飛び込むべき崖淵に立ちながら、嘘笑いをしてたじろぐのは臆病者の常だ。
臆病者に付き合っていては、奴までも飛び込むことに躊躇うだろう。
意を決して、奴に告げる。


「時間の許すうちに、キミの話をしてちょうだい。そのために会ってるんだから…」


ややあって、奴の表情がすっと変わるのを見た。
奴隷特有の不安げな面持ちが消え、代わりにひどく落ち着いたオトナらしい顔が現れる。
それは、私が一度も見たことのないもので、息を呑むような驚きと居心地の悪さをもたらした。
と同時に、改めて腹の底に覚悟を宿す。

先に夢から醒めてしまった奴の話が、静かに始まる。


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