女房様とお呼びっ!
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私が見ている’主従’という夢は、相手あってこそのものだ。 片方が夢から醒めれば、必然として片方の夢も潰える。 しかも、夢なんてのは、無理やり見られるものじゃない。 ゆえに、醒めゆく者を引き留めることは出来ない。もう片方においても然り。
思えば残酷な話だが、それを承知で夢を見ている。 せめて、醒めなければいいなと思うが、それもまた夢だ。
◇
’主従’という関係に憧れる人が言う。 「奴隷なのに、自分から奴隷辞められるんですか?!」
確かに、’主従’の夢の中ではあり得ないことかもしれない。 けれども、夢が夢である限り、現実の壁は厳然と立ちはだかる。 奴隷が夢に背を向けたとき、すなわち彼はタダノヒトとなり、逃げるなと命じたところで届きはしない。
だから今回、イリコの背中を見てしまえば、私はもう手をこまぬくしかないと思った。 去りゆく背に向かって、怒っても懇願しても意味がない。 ただ空しく、更に辛い思いをするだけだ。それは、自分にとっても、奴にとっても。
それでも、このとき私は、最後まで主ヅラしていようと考えた。いや、そうするしかなかった。 裸の王様にも、一分の理がある。
◇
私にとって、奴はどこまでも奴隷なのだ。 その背が、夢の向こうに見えなくなるまで。 いや…夢果てるとも、私は奴の幻を胸に抱くだろう。
過去にも、幾名かの奴隷が私の下を去った。 それぞれの理由はあったろうが、その真相は知れない。事実、私が見限られただけとも思う。 それでも、未だ私は彼らのことを、愛おしむべき奴隷と思っている。 我ながら、能天気過ぎるなと嘲笑っちゃうくらいだが、どうしようもない。
いわんや、奴の実体は未だ目に届く所にあり、 まして言葉も交わし、対面も期せば、主ヅラを手放せようはずもない。 もちろん、無理を通して、表面的な対等さを保つことは出来るだろう。 しかし、この段階で、その無理を通すのを感情が阻んだ。 これもやはり、どうしようもないことだった。
この割り切りの悪い性質を私は充分自覚していて、だからこそ、日頃は取り繕っている。 奴にしてみれば、もっとあっさり手放してくれると思っていたかもしれない。 しかし、その性質はさておいても、相応の執着がなければ主ヅラなんて出来ない。 奴隷側にしても同じだろう。 私の場合、そこへ生来の執念深さが加わって、奴が思うよりずっと、強い執着を抱いている。
◇
主ヅラしたまま、メッセンジャーでの会話が始まる。 奴もまた以前と変わらず応じてくれて、夢の続きを見ているような気がした。
けれども、奴のログが積まれるごと、夢の終焉を感じずにはいられなかった。 夢の跡を振り返るような奴の物言いが、恨めしくも辛い。 自ら裸の王様と覚悟していても、つきつけられる真実が痛く、悲しかった。 悲しさがあまって、堪えきれずにこう訊いた。
「私はキミを本当に悲しませたことがあるかな?」 「正直に申し上げますが、このひと月は、相当に悲しかったです。」
奴の言う悲しさは、私のこの悲しみに相応なのだろうかと、嘆かわしく思った。 けれど、各々の悲しみの質を引き比べるべくもない。 その事実をこそ認めるべきなんだろう。
しかし、纏っているつもりの主の衣が、奴の悲しみさえも我の意思なりと言い訳する。 そうするに至った経緯を明かしてしまう。 今更な言葉が空しく宙に浮き、自分が情けなくなってくる。 ふと奴の溜息までも聞こえたような気がして、付け足すようにログを積んだ。
「キミにとっては、理不尽な仕打ち以外の何物でもなかったかもしれませんが…」
◇
結局最後まで、私が奴の悲しみをあがなうことはなかった。 主ヅラを盾にして、寧ろそうすべきでないと思っていた。 が、つまるところ、そうしたくなかっただけなんだろうと今は思う。
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