女房様とお呼びっ!
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2003年10月16日(木) 醒めやらぬ夢

呼び出し音が止み、一瞬間があって、奴の抑えた声音が耳に届く。
こちらから掛けたのに、「XXです…」と応答する。これは、いつものことだ。
その度、どこまでも律儀な男だと思う。律儀がゆえに不器用なそうだなとも思う。
このときも、出てくれたことに安堵しながら、そう思った。
そして、何となく安心した。



いきなり夢から醒めるのはやはり怖い。
殊に私の場合、突然何もかもが失われることへの恐怖を強く抱いている。
しかも、それは未知の恐怖ではなく、これまで幾度か経験したからこその恐怖だ。

また、奴とのことに限れば、私たちを結ぶ「主従」なんて関係性は、
やはり夢々しいママゴトに過ぎず、その儚さが一層恐怖を根深いものにする(※)
夢は不意に醒めるものと思えば、尚のこと恐ろしい。

その上、私は過去に一度奴にフられている。
関係を始めて間もない頃の話だから、今更話題にひくに忍びないのだが、
この経緯が、元々ある恐怖を増しているのは確かだ。
あのとき、僅かな関わりにしても突然夢を断たれて、私は電話口で号泣した。
その電話の向こう、奴の声音が冷たく変化したのを今でもありありと覚えている。
思い出すだに、心臓がギュウと掴まれるような、忌まわしい記憶だ。

それから二年半経って、また奴にフられそうになって、
勝手は承知でただ自分の身の上を呪いながら、再びあんな目に遭うのかと怯えた。
いや、あまりに恐ろしくて、無理やり意識下に押し込めては、やり過ごそうとしたきらいもある。
それでも、あのときのようにあしらわれてしまうことを、どこか覚悟はしていた。



果たして、耳慣れた声音のまま、奴の応答は続く。
短い挨拶を交わしたあと、黙り込む奴に、「だいじょうぶ?」と訊いた。

その問いに奴が何と答えたか、既に記憶にない。
恐らくは、二言三言返事があったのだろう。
そのうちに、ぐっと息を詰める気配がして、咽ぶような泣き声が漏れ始め、それは長く続いた。
私は黙ってそれを聞いた。

堪えていた気持ちが決壊して、ごぼごぼと溢れかえるように、奴が泣く。
それはまるで、道に迷った幼い子が、親を見つけた途端泣きじゃくるかのようにあどけない。
そして、私もまた親となり、「仕方ないわね」とあやすような、
「もう迷っちゃダメよ」と諌めるような、愛おしい気持ちに胸が詰まる。
けれど、そう言葉にするに躊躇った。

長い嗚咽が切れ切れとなり、ようやく「申し訳ございません…」と奴が言う。
そこに、夢のしっぽを見た気がして、少しだけ救われた。
そして、今しばらくは夢を見ていようと思う。
奴の中で既に夢が潰えているとしても、せめて私は主ヅラをして、夢のゆくえを見届けたい。
そのことで、奴に疎まれても、恨まれてもいいと思った。




「キミはまだ私の従だから…」


心を決めて、そう言った。
この期に及べば、我ながら嘘臭い物言いに冷や汗が出た。
そう言われて、心潰えた奴がどう反応するかと怯え、身が震えた。
けれども、未だ嗚咽やまぬ奴は、ようよう返事をしかねており、私のひとり相撲は続く。


「辛くてたまらないときは、許して下さいって言えばいいのよ?」
「私は、キミがそう言うのを待っていたの…」


醒めかけた夢に縋り付いては、今更な言葉を重ねた。


そう…、今更だとわかっていた。
もちろん、私の言葉が奴に届いて、今一度夢の中へ還ってきてくれればと願った。
けれど、今となれば届かないかもしれないと、あるいは、
届いたところで、一旦離れた気持ちは引き止めようもないだろうと、諦めてもいた。
だから、私は、ただただ自分が夢から醒めたくないばかりに、そうしたのだ。



電話を終えて、近い将来を思う。
終わるなら、せめてきちんと終わらせたい。
けれど、諦めるに諦めきれない、取り戻せるなら取り戻したい。

葛藤を抑えて、静かな言葉でメールを書いた。
未だ夢を見ているフリをして、「キミは私の従である」と添えた。


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