女房様とお呼びっ!
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2003年10月14日(火) 夢から醒める間際

そのメールに目を通し始めた瞬間、私は息を飲んだ。
こめかみの辺りから、血の気がサーッと引く。その音すら聞こえたような気がした。
咄嗟に、何かの間違いかと思った。いや、思いたかった。
しかし、型通りの短いメールは、その望みを僅かも待ってくれない。
わずか数行ののち、私はそれが間違いでないことを知る。

そこには、奴にはあり得ない署名があった。
これがすなわち、間違いであって欲しい文頭の一文と符合してしまったのだ。
その事実に愕然とした。



それまで、奴が寄越すメールは必ず、「XXでございます」と始まり、「XXXX 拝」で終わっていた。
私たちが関わって以降、そのスタイルが崩れたことは一度もなかった。
どんなに短い文面でも、奴は頑なにその体裁を守った。
その頑なさたるや、そこに、奴のアイデンティティがあるかのようだった。
いや、実際あったのだろう。
だからこそ、意図してであれ、無意識の発露であれ、それが破られることになったのだ。

一方私にとって、それは、見慣れた風景のようなものになっていた。
永遠不変を疑ったことすらなかった。
だから、その見慣れた風景が忽然と失われた事実に、心底驚愕してしまった。
と同時に、酷く混乱した。
理性では受け入れても、感情の奥深い部分が抵抗する感じなのだ。
「XXです」という一文と、「拝」のつかない署名を見るたびに、吐き気を覚えた。

それでも、繰り返し読んでしまう。
読むといっても、本文はたかだか二行で、それが却って恨めしい。
きっと、そこにも相応の意味が込められているはずなのに、あまりに短い。
けれど、短いがゆえの意味深長もあろうと、またも同じ文字列を追う。
しかし、いくら読み返そうと、そこに窺う真意の変わろうはずもない。

恐らく、奴は、奴の気持ちは、既に潰えてしまったのだろう。
それを認めたくなくて、何度も読んでしまった。
読めば読むほど、認めざるを得なくなった。



そのメールは日課に寄越す定時のメールではなく、
同行して別れたのち、無事に帰着したことを知らせるものだ。
これも、私たちが関わって来、慣例になっている。

つまり、メールが着信する一時間あまり前、
奴はいつものように私を見送り、帰途を辿り、習慣通りにメールを打ったわけだ。
その一連のどの時点で、ここに表れた心境に至ったのだろう。
いや、それは、もっと以前のことかもしれない。

しかし、前日のメールを改めて読んでも、それらしい兆候はない。
更に遡ってみたが、読み取れない。
とすれば、まさにその当日に、奴の気持ちが著しく変化したことになる。
いうまでもなく、その変化を招いたのは、私でしかない。
そして、当日のことを思い出すだに、その事実に納得出来るような、し難いような複雑な気分になった。

いや、誤魔化してはいけない。
納得しかねるのは、自分の非を認めたくないだけだろう。
やはり、私には明白に非があったのだ。それは、否定しようもない。
相変わらず、仏頂面をして奴の車に乗り込み、殆ど会話も交わさず、またも目を閉じたままだった。
確かに、それ以前から別件で不機嫌にいたが、奴にそこまで辛くあたる理由になろうはずがない。

結局、私は奴を追い込み過ぎたのだ。
母獅子の言い訳を盾に、その実、むごい仕打ちに及んだだけだ。

むろん私が望んだのは、それで奴が許しを請うことだったけれど、
思えば、その前に逃げ出そうとするのが、よほどヒトの現実だ。
私はまた夢を見過ぎてしまったのだろうか…。



そのメールの翌日も翌々日も、文頭と署名の体裁は変わらなかった。
偶さかの間違いか、気の迷いであればと待ってはみたが、その一縷の望みも絶たれてしまった。

仕方なく、奴の思うところを問うメールを出して、返事を待つ。
時刻は21時、夢から醒めるまで、あと三時間…。


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