女房様とお呼びっ!
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私が再び鞭をとったのは、とあるSMバーでのことだ。 ノンケと思しき賑やかな団体が去って、客は馴染みらしき男性と私たちの三人だけとなり、 何となく気の抜けたムードが漂う頃合に、奴に脱衣を命じた。
いきなりそう言われて、奴は戸惑い、一瞬の躊躇を見せる。 目線をやって、それを制し、店の壁にずらりと掛かった鞭を物色した。
◇
実のところ、衆目の中で奴を相手に行為することは、あまりない。 他にも連れがいれば、皆も誘って余興として遊ぶこともあるが、 ふたりきりで訪れてそうしたのは、恐らくこれが初めてだ。 行為を人目に晒して悦ぶ嗜好が双方にないし、 同じ事をやるにしても、人目があると没頭できない。 やはり、奴との行為は、密室ですべき親密なものと思う。
それが、この日そうしたのは、今ここでしなければと強く思ったからだ。 確かに、客が少ないことに助けられはしたが、動機はそこにない。 折角だから遊んでく?みたいな軽い気持ちでもない。 人目なんて気にしていられない程、切迫した気持ちに駆られた。
もっとも、それなら店を出て、密室にこもるほうが適当ではある。 もちろん、そうも考えた。 けれども、またも捻じれた感情から、そうするに抵抗があった。
正確に言えば、そのもっと以前、密室どころか、バーに同伴することすら逡巡した。 原因は、落ち合う連絡をとっている折に、奴が口答えをしたからだ。 それも、奴隷のくせに云々というレベルでなく、人として礼を欠く物言いに絶句してしまった。 ただでさえ不機嫌にいた私は、何だか奴の顔を見るのもイヤになり、 「また連絡するわ」と電話を切る。
その後バーへ向かう道を辿りながらも、まだ迷ったままで、 結局呼び寄せたのは、席に案内されてからだ。
◇
幸いに店内に見知った顔はなく、憚りなく仏頂面で奴を待つ。 と、現れた奴もまた、最前しくじったせいで、この上なく表情が固い。 肩を並べて座らせたものの、案の定、陰鬱な気を醸すばかりだ。 私は私でさっきの気分をひきずって、奴に顔を向けるのも疎ましい。 暫くは目線をやることもなく、前を向いたきりで、ぽつぽつと物を言う。
しかし、奴がまたしても口答えをした途端、思わず奴のほうへ向き直った。 「ナニイッテルノッ?」問い質すに、つい声を荒げてしまう。 けれど、そう問われて戸惑う奴は、自分が何を言ったか認識してないと言う。 つまり、無意識のうちに、暴言を吐いてしまったらしいのだ。 私は、もうどうしたらいいのかわからなくなって、深い溜息をついた。
と同時に、何となく開き直った気分にもなる。 この身に積もる鬱屈は、更には奴の鬱屈も、私の手で払わねばならないんだわ。 奴はどうあれ、私までが、ここで拗ねて沈黙している場合じゃない。
そう思えば、徐々に気が戻り、直近に奴が踏んだ地雷をネタに説教を始める。 その逐一に奴は項垂れるのだが、私が黙っているよりはマシだろう。 おかしなもので、説教するうち、奴への疎ましさが消えていく。 まぁ、言いたいことを言ってしまえば、当たり前に気が治まるものだ。
一方、奴は既に詫びの言葉も失って、虚ろな表情で黙りこくってしまった。 しかし、気力が戻った私には、その風情こそ親しみ深い。 意趣を晴らした気にもなり、今度は奴をどうにかしてやりたいと思った。
◇
奴の裸の背に、鞭を当てていく。 邪気を祓うように、殆ど加減をせずに打ち進める。
端から、快楽を恵むつもりなどない。 奴の中に堆積した鬱屈を打ち砕き、身を裂いては、膿のように流れ出よと念じた。 次第に息が上がり、腕がだるくなっても、狂おしい思いに駆られ、自動的にまた振りかぶる。 いつのまにか、衆目への意識も薄いものになっていた。
思いのままにあれば、私は奴が崩折れるまで続けていただろう。 けれど、休みなく打ち据えていたためか、次第に腕が上がらなくなってくる。 限界に近く、気力を振り絞り、とどめを差すように打つ。
その頃合に、店の女の子が「アタシもやらせてぇ」と無邪気な声をあげ、 現実に引き戻される感じで、張り詰めていた気が断たれた。 そして、ようやくのこと、私は鞭を置いた。
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