女房様とお呼びっ!
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2003年10月10日(金) 逡巡のきっかけ

今更の繰り返しになるが、ここに至る事の発端は、奴が無思慮な言葉を吐いたことにある。
これを受けて、私もまた、「今後は食事とか旅行とか一緒するのは避けようか」と言い、
奴も、「残念ですが、仕方ありません」と返した。

一見馬鹿馬鹿しい売り言葉に買い言葉だが、
実のところ私は、このやり取りにこそ、酷く悩まされている。



よくよく考えれば、あのとき私は多分に嫌味を込めて、殆ど反語的にそう言ったのだ。
本心から、そうしようともそうしたいとも思ってなかった。
奴にしても、そう水を向けたなら、「いえ、それは…」などと口篭もるのではないかと踏んでいた。
ところがあっさり受け入れられて、その途端、己の投げた言葉が急に現実味を帯び始めた。

もっとも、現実に照らせば、やはりそれは妄言だと容易に気づく。
奴とのこれまでは、日常の些事も含めた様々な場面で紡がれてきたからだ。
これからも、そうしようと思っていたからだ。

それを「仕方ありません」と返されては、無性に腹立たしくもあった。
「よくそんなこと言えるわね!」と一蹴すれば、済む話だったのかもしれない。
いや…、胸の内では早々と一蹴し、今に思い知らせてやるッとさえ息巻いた。



しかしながら、その一方で、本当にそうすべきだろうかという迷いも生まれた。

確かに、旅行はおろか食事さえ共にしなかった奴隷も、過去にはいる。
それで何の問題もなかったし、そういう付き合いであっても、充分に関係を築けたと思っている。
寧ろ、日常に関わらないことで、彼らとは純粋な関わり合いが出来たとも思う。

ならば、奴とも、日常に関わって無理を重ねるよりも、そうするほうが適切なのではないか。
これまではこれまでとして、問題が露見した今こそ、軌道修正すべきだろうか。

それに奴には、日常にかまけて、調教なり行為なり施す機会をあまり取ってない現状がある。
これでは、いかな奴だって、奴隷たる自覚に乏しくなって当然かもしれない。
いや、自覚はともかく、奴隷たりうる悦びに不足しているのではないだろうか。
恋人同士や夫婦でも、性的な営みに疎かになれば、関係自体が危うくなる。
いわんや、私たちの関係は、性的な関わりを核としていればこそ…。


奴との次第や将来を思うとき、私は大抵思案に暮れる。
こうではないか、ああではないか…。
ああもしよう、こうもしよう……。

そこへ感情そのものが乗っかって、恐ろしく沢山のことを考えてしまう。
来る日も来る日も考えて、考えてはまた考える。
ひとまずの結論を見ても、まだまだそこから考えるに忙しい。
今ももちろん、考え続けている。



こうして、あれきしのやり取りながら、私の中には大きな波紋が広がった。
ここに掲示した文中に、「奴との展望を失った」と記したのは、その意味で本当のことだ。
もっとも、自分が言い出したことゆえに、引っ込みがつかなくなった感も否めないけれど(笑。

そんなワケで、
先々を決めあぐねつつも、ひとまず調教だけはマメにやろうと考えた。

心理的なこじれがどう解を見るかは、成り行きに任せる部分が大だろうし、
ことによると、行為を重ねれば、気持ちの落としどころも見つかるかもしれない。
そんな期待もあった。



果たして、その第一回目の試みを終えてみれば、それなりの結果を見た。
もちろん、依然気持ちの上での問題を残していたが、試みは繰り返してこそ意味がある。
あまり間を置かずに、二回目の試行をしたいと機をうかがった。

しかし、こんなときに限って、なかなか機会は得られない。
時間の経過とともに、行為に縋れないまま、気持ちがまたも澱んでいく。
二度の対面はそれを明らかにし、結果、奴にあっては不安を募らせた。

自分の気持ちも含めて、早くどうにかしなければと切実に思いながら、
ようやく再びの鞭を取ったのは、先の調教からひと月も経った日のことだった。


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