女房様とお呼びっ!
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今更の繰り返しになるが、ここに至る事の発端は、奴が無思慮な言葉を吐いたことにある。 これを受けて、私もまた、「今後は食事とか旅行とか一緒するのは避けようか」と言い、 奴も、「残念ですが、仕方ありません」と返した。
一見馬鹿馬鹿しい売り言葉に買い言葉だが、 実のところ私は、このやり取りにこそ、酷く悩まされている。
◇
よくよく考えれば、あのとき私は多分に嫌味を込めて、殆ど反語的にそう言ったのだ。 本心から、そうしようともそうしたいとも思ってなかった。 奴にしても、そう水を向けたなら、「いえ、それは…」などと口篭もるのではないかと踏んでいた。 ところがあっさり受け入れられて、その途端、己の投げた言葉が急に現実味を帯び始めた。
もっとも、現実に照らせば、やはりそれは妄言だと容易に気づく。 奴とのこれまでは、日常の些事も含めた様々な場面で紡がれてきたからだ。 これからも、そうしようと思っていたからだ。
それを「仕方ありません」と返されては、無性に腹立たしくもあった。 「よくそんなこと言えるわね!」と一蹴すれば、済む話だったのかもしれない。 いや…、胸の内では早々と一蹴し、今に思い知らせてやるッとさえ息巻いた。
◇
しかしながら、その一方で、本当にそうすべきだろうかという迷いも生まれた。
確かに、旅行はおろか食事さえ共にしなかった奴隷も、過去にはいる。 それで何の問題もなかったし、そういう付き合いであっても、充分に関係を築けたと思っている。 寧ろ、日常に関わらないことで、彼らとは純粋な関わり合いが出来たとも思う。
ならば、奴とも、日常に関わって無理を重ねるよりも、そうするほうが適切なのではないか。 これまではこれまでとして、問題が露見した今こそ、軌道修正すべきだろうか。
それに奴には、日常にかまけて、調教なり行為なり施す機会をあまり取ってない現状がある。 これでは、いかな奴だって、奴隷たる自覚に乏しくなって当然かもしれない。 いや、自覚はともかく、奴隷たりうる悦びに不足しているのではないだろうか。 恋人同士や夫婦でも、性的な営みに疎かになれば、関係自体が危うくなる。 いわんや、私たちの関係は、性的な関わりを核としていればこそ…。
奴との次第や将来を思うとき、私は大抵思案に暮れる。 こうではないか、ああではないか…。 ああもしよう、こうもしよう……。
そこへ感情そのものが乗っかって、恐ろしく沢山のことを考えてしまう。 来る日も来る日も考えて、考えてはまた考える。 ひとまずの結論を見ても、まだまだそこから考えるに忙しい。 今ももちろん、考え続けている。
◇
こうして、あれきしのやり取りながら、私の中には大きな波紋が広がった。 ここに掲示した文中に、「奴との展望を失った」と記したのは、その意味で本当のことだ。 もっとも、自分が言い出したことゆえに、引っ込みがつかなくなった感も否めないけれど(笑。
そんなワケで、 先々を決めあぐねつつも、ひとまず調教だけはマメにやろうと考えた。
心理的なこじれがどう解を見るかは、成り行きに任せる部分が大だろうし、 ことによると、行為を重ねれば、気持ちの落としどころも見つかるかもしれない。 そんな期待もあった。
◇
果たして、その第一回目の試みを終えてみれば、それなりの結果を見た。 もちろん、依然気持ちの上での問題を残していたが、試みは繰り返してこそ意味がある。 あまり間を置かずに、二回目の試行をしたいと機をうかがった。
しかし、こんなときに限って、なかなか機会は得られない。 時間の経過とともに、行為に縋れないまま、気持ちがまたも澱んでいく。 二度の対面はそれを明らかにし、結果、奴にあっては不安を募らせた。
自分の気持ちも含めて、早くどうにかしなければと切実に思いながら、 ようやく再びの鞭を取ったのは、先の調教からひと月も経った日のことだった。
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