女房様とお呼びっ!
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ここにどれ程カライ文章を掲げようと、思い通りの結果は得られない。 期待に逸る私がこう結論したのは、先の調教からたかだか一週間後のことだ。
感覚的には、毎日が一日千秋だったけれど、かくもあっけなく私は音を上げた。 根がタフでない私は、アテなく待つことがとても苦手で、かつ苦痛なのだ。 その苦しみから逃れるため、大概早々に足掻くことになる。 そこで、私たちの関係自体を問うかのような記事を最後に、掲示を中断した。
確かに、この時点で奴は再び詫びてきたが、それは全く胸に届かなかった。 慇懃に詫びつつも、ダメならダメでいいと言わんばかりの投げやりな諦めを感じて、寧ろ不快だった。 もちろん、奴にそんな気はなかったかもしれない。 けれど、私がそう受け取ったのは事実だ。
一方、私は依然諦めてはなかった。 いくら腐れようとも、期待は根強くあり、新たな期待が芽吹く。 いや、一旦腐れ落ちたそれは、今や執着に同等だったろう。
偏執狂が期する手立ては往々にして過激だ。 先に奴を不安に陥れながら、そのまま捨て置くことにした。 むろん呵責は感じたが、獅子千尋の谷と思い込んでは、これを退けた。
◇
その後十日ほど、日課に寄越す奴からのメールだけが、私たちのよすがとなった。 これまで通り、日次に報告すべき要目に数行のコメントが添えてある。 天候の話や近況によせては私の様子を気遣ったり、チャットに出向いた次第の報告があったり。 奴には過去の記録を整理する作業を課してる折から、切ない胸中が語られたり。
そこに、奴の心境を読む。 奴なりに堪えてる様子が手にとるようだ。 殊更に私の消息を案じられるごと、言外に捨て置かれた寂しさを見る。 過去を顧みる作業にことよせて、辛い切ないと感想するのは、すなわち今現在の心境だろう。 奴にしては珍しく頻回にチャットに赴くのは、どうにか鬱屈を晴らそうと試みているに違いない。
そう感じるにつけ、当然に心動かされ、事態にケリをつけようかと思う。 実際、ここの掲示を再開させるべく、何度もエディタを開いた。 しかし、結局閉じてしまったのは、やはり執着に足る結果を得られてなかったからだ。
とは言いつつ、そのときは、 子を谷底へ突き落とした母獅子のように、堪えて待つを気取っていたのだけれど。
◇
一方、奴は、私の心境を知る由もない。 もちろん、それは、落とされた子獅子にしても同じだ。 あるいは、知ってしまえば、険しい谷を這い上がれはしないだろう。
けれど、奴は獅子ではなく、奴隷だった。 落とされたら落とされたままに甘んじるのが奴隷の分と信じ、自ら這い上がる発想も恐らくない。 ここに、母獅子気取りの大きな誤算があったワケだが、 奴の心細そうな様子を見ては、やがて這い上がってくるものと盲信した。
しかしながら、その錯誤に気づくチャンスはあったのだ。 捨て置いてから五日目のメール。
> 私にこれほどまでにお心を注いでくださった**様に、本当に感謝しています。 > その**様に不愉快な思いをさせ、失望させてしまった。 > さぞかし無念に思われていることと存じます。 > **様のお心が晴れる日が、一日でも早く来ることを、心よりお祈りしています。
これを読んで、私は、 ワタシの心が晴れるのはキミ次第だろう?天ノ岩戸じゃあるまいし…と鼻白んだものだが、 奴にすれば、こう納得するよりほかなかったのかもしれない。
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