女房様とお呼びっ!
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2003年10月08日(水) 母獅子の誤算

ここにどれ程カライ文章を掲げようと、思い通りの結果は得られない。
期待に逸る私がこう結論したのは、先の調教からたかだか一週間後のことだ。

感覚的には、毎日が一日千秋だったけれど、かくもあっけなく私は音を上げた。
根がタフでない私は、アテなく待つことがとても苦手で、かつ苦痛なのだ。
その苦しみから逃れるため、大概早々に足掻くことになる。
そこで、私たちの関係自体を問うかのような記事を最後に、掲示を中断した。

確かに、この時点で奴は再び詫びてきたが、それは全く胸に届かなかった。
慇懃に詫びつつも、ダメならダメでいいと言わんばかりの投げやりな諦めを感じて、寧ろ不快だった。
もちろん、奴にそんな気はなかったかもしれない。
けれど、私がそう受け取ったのは事実だ。

一方、私は依然諦めてはなかった。
いくら腐れようとも、期待は根強くあり、新たな期待が芽吹く。
いや、一旦腐れ落ちたそれは、今や執着に同等だったろう。

偏執狂が期する手立ては往々にして過激だ。
先に奴を不安に陥れながら、そのまま捨て置くことにした。
むろん呵責は感じたが、獅子千尋の谷と思い込んでは、これを退けた。



その後十日ほど、日課に寄越す奴からのメールだけが、私たちのよすがとなった。
これまで通り、日次に報告すべき要目に数行のコメントが添えてある。
天候の話や近況によせては私の様子を気遣ったり、チャットに出向いた次第の報告があったり。
奴には過去の記録を整理する作業を課してる折から、切ない胸中が語られたり。

そこに、奴の心境を読む。
奴なりに堪えてる様子が手にとるようだ。
殊更に私の消息を案じられるごと、言外に捨て置かれた寂しさを見る。
過去を顧みる作業にことよせて、辛い切ないと感想するのは、すなわち今現在の心境だろう。
奴にしては珍しく頻回にチャットに赴くのは、どうにか鬱屈を晴らそうと試みているに違いない。

そう感じるにつけ、当然に心動かされ、事態にケリをつけようかと思う。
実際、ここの掲示を再開させるべく、何度もエディタを開いた。
しかし、結局閉じてしまったのは、やはり執着に足る結果を得られてなかったからだ。

とは言いつつ、そのときは、
子を谷底へ突き落とした母獅子のように、堪えて待つを気取っていたのだけれど。



一方、奴は、私の心境を知る由もない。
もちろん、それは、落とされた子獅子にしても同じだ。
あるいは、知ってしまえば、険しい谷を這い上がれはしないだろう。

けれど、奴は獅子ではなく、奴隷だった。
落とされたら落とされたままに甘んじるのが奴隷の分と信じ、自ら這い上がる発想も恐らくない。
ここに、母獅子気取りの大きな誤算があったワケだが、
奴の心細そうな様子を見ては、やがて這い上がってくるものと盲信した。

しかしながら、その錯誤に気づくチャンスはあったのだ。
捨て置いてから五日目のメール。


> 私にこれほどまでにお心を注いでくださった**様に、本当に感謝しています。
> その**様に不愉快な思いをさせ、失望させてしまった。
> さぞかし無念に思われていることと存じます。
> **様のお心が晴れる日が、一日でも早く来ることを、心よりお祈りしています。


これを読んで、私は、
ワタシの心が晴れるのはキミ次第だろう?天ノ岩戸じゃあるまいし…と鼻白んだものだが、
奴にすれば、こう納得するよりほかなかったのかもしれない。


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