女房様とお呼びっ!
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2003年07月09日(水) 梅雨のあとさき・補足

前回の記事を読んだイリコから、メールが届く。


> おっしゃる通りに、私は耐えられませんでした。


確かにそう書いたし、事実もそうだ。
しかし、私は奴に「耐えて欲しい」とは思ってなかった。
むしろ、いつ音を上げて縋ってくるのだろうと待っていた。
まるで自分勝手な言い分だが、
「許して下さい」と言われれば何時でも、私はそれを受け入れただろう。
正直な話、奴が耐えれば耐えるほど、焦れったく思い、また困惑した。

もちろん、その間、奴が全く反応を示さなかったわけではない。
折々寄越すメールには、自省や謝罪の言葉が並んだ。
辛い、切ないというメッセージもあった。

それらを私は注意深く読んだ。
決して軽んじたり、鼻であしらうような気持ちはなかった。
あぁ堪えてるなと実感したし、そのいずれかの時点で私は事を収めればよかったのだ、と今にして思う。

しかし、私がしたことは、ただただ独り善がりな期待に縋って待つことだった。
いや、奴が自業自得と項垂れるごと、許してやりたい衝動に駆られた。
けれど、今私のほうから手を差し伸べては、これまでの繰り返しになってしまう。
過保護を怖れる母が、転んで泣きじゃくる我が子を見守るような苦しい心持で、自らの言動を制した。



結局、奴は私に縋ることなく、自らが降りることで事態に幕を引こうとした。
身勝手な私の期待は、あっさりと覆されたワケだ。

が、それも奴にしてみれば、当然だと思う。
「耐えること」を奴隷の定義とする奴流の観点に立てば、
耐え切れず許しを請うなど意識の外であり、そう期待されているなど知る由もなかったろう。

つまり、奴は「耐えられない自分」に耐えられなかったのだ。奴隷たる自負にかけて。
私としては、窮地に置かれることで奴がこの自負を捨て、
私に縋ってくることを画策したのだけど、奴はそうしなかった。
奴が縋ったのは、私ではなく、奴隷なら耐えるべきという自負だ。
やがて耐え難い辛さに自負は折れ、すなわち奴は、奴隷である意義を失った。

もっとも、奴が奴隷たりうるのは、その自負と意義だけに拠らない。
それ以前の大前提として、人としての感情があり、その感情は当然私に向かって紡がれる。
だから、私たちの関係にあれば、まずは感情が優先されて欲しいと願う。
しかし今回、奴は感情を排して自負と意義に頼り、結果、感情まで損なわれたと明かすに至った。



もちろん、この経過の真相は奴にしか知りえない。
以上は、奴からもたらされた情報と、それに基づく私なりの推論だ。
もしかすると、まるで的外れな考察かもしれないね。

しかし、真相はどうあれ、奴の感情こそが全ての成り行きを招いたと理解している。
たとえ奴が、自らの思う奴隷像に従い、感情を抑えるべく苦悩したにせよ。
感情とは、かくも侮り難く、厄介なものだと、奴は知っていただろうか。
あるいは、このふた月の成り行きを経て、知り得るところとなっただろうか。


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