女房様とお呼びっ!
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2003年07月09日(水) |
梅雨のあとさき・補足 |
前回の記事を読んだイリコから、メールが届く。
> おっしゃる通りに、私は耐えられませんでした。
確かにそう書いたし、事実もそうだ。 しかし、私は奴に「耐えて欲しい」とは思ってなかった。 むしろ、いつ音を上げて縋ってくるのだろうと待っていた。 まるで自分勝手な言い分だが、 「許して下さい」と言われれば何時でも、私はそれを受け入れただろう。 正直な話、奴が耐えれば耐えるほど、焦れったく思い、また困惑した。
もちろん、その間、奴が全く反応を示さなかったわけではない。 折々寄越すメールには、自省や謝罪の言葉が並んだ。 辛い、切ないというメッセージもあった。
それらを私は注意深く読んだ。 決して軽んじたり、鼻であしらうような気持ちはなかった。 あぁ堪えてるなと実感したし、そのいずれかの時点で私は事を収めればよかったのだ、と今にして思う。
しかし、私がしたことは、ただただ独り善がりな期待に縋って待つことだった。 いや、奴が自業自得と項垂れるごと、許してやりたい衝動に駆られた。 けれど、今私のほうから手を差し伸べては、これまでの繰り返しになってしまう。 過保護を怖れる母が、転んで泣きじゃくる我が子を見守るような苦しい心持で、自らの言動を制した。
◇
結局、奴は私に縋ることなく、自らが降りることで事態に幕を引こうとした。 身勝手な私の期待は、あっさりと覆されたワケだ。
が、それも奴にしてみれば、当然だと思う。 「耐えること」を奴隷の定義とする奴流の観点に立てば、 耐え切れず許しを請うなど意識の外であり、そう期待されているなど知る由もなかったろう。
つまり、奴は「耐えられない自分」に耐えられなかったのだ。奴隷たる自負にかけて。 私としては、窮地に置かれることで奴がこの自負を捨て、 私に縋ってくることを画策したのだけど、奴はそうしなかった。 奴が縋ったのは、私ではなく、奴隷なら耐えるべきという自負だ。 やがて耐え難い辛さに自負は折れ、すなわち奴は、奴隷である意義を失った。
もっとも、奴が奴隷たりうるのは、その自負と意義だけに拠らない。 それ以前の大前提として、人としての感情があり、その感情は当然私に向かって紡がれる。 だから、私たちの関係にあれば、まずは感情が優先されて欲しいと願う。 しかし今回、奴は感情を排して自負と意義に頼り、結果、感情まで損なわれたと明かすに至った。
◇
もちろん、この経過の真相は奴にしか知りえない。 以上は、奴からもたらされた情報と、それに基づく私なりの推論だ。 もしかすると、まるで的外れな考察かもしれないね。
しかし、真相はどうあれ、奴の感情こそが全ての成り行きを招いたと理解している。 たとえ奴が、自らの思う奴隷像に従い、感情を抑えるべく苦悩したにせよ。 感情とは、かくも侮り難く、厄介なものだと、奴は知っていただろうか。 あるいは、このふた月の成り行きを経て、知り得るところとなっただろうか。
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