女房様とお呼びっ!
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2003年05月04日(日) せめてもの抵抗

自分と他人の価値観が違うなんて驚くべきことではない。
まして、そのことで他人を責める必要はない。
親しい間柄であっても、そうした齟齬が生じるのはままあることで、
寧ろ各々の違いを認め、相互に譲歩したり妥協したりして上手に共存していけばいい。
結局、他人と親密になる過程はこの作業に尽きるのかもしれない。

が、そうわかってはいても、価値観の違う人間と出会うと人はそれなりの抵抗を覚える。
道理を忘れて驚いて、少しムッとして、
時にナンデ?となじるように問うたり、リカイデキナイと突き放したり、
シタカナイネと言いながら、実は全然納得いかない自分を持て余したりする。
それはワカッタ風な私とて同じことだ。むろん、奴も同じ。

だから、溜息混じりに「ああ、価値観が違うんだねぇ」と言ってはみたものの、
嫌味の一つでも言って、奴を責めたいような気持ちになっていた。
奴もまた、腑に落ちなかったのだろう、
「それは価値観が違うというよりも、向き不向きの問題かと…」などとトチ狂った言葉を吐く。
しかし、その妄言は、私の溜息を一層深くしただけだ。

ワルアガキついでに、せめて自分の価値観にまつわるエピソードなど語ってはみたが、
それが奴に届いたかどうかはわからない。いや、届かなかったんだろう。
「今後は食事とか旅行とか一緒するのは避ける方向で考えるよ」と半ば引導を渡したら、
「残念ですが、仕方ありません…」と返された。
正直、ナンナンダ?と思った。



翌日を待ちかねて、先の友人に事の次第を愚痴させてもらう。
一頻り奴の反論や態度をこき下ろした後、「あんなじゃ恋愛なんて出来ないよぅ」と吠えたら、
「そんなことないって…」と笑いながらたしなめられた。

ウン、わかってるよ、奴だって奴なりに生きてきてるんだ。
お友達だっているだろうし、恋愛だってしただろう。
それに、私のような考え方こそ、世間では”ミズクサイ”と誹られるだろうことも知っている。

親しいのなら無理せずに。無理するなんて他人行儀な。
互いに空気のような存在でいられたら。
それはありがちな理想で、かつそうしてウマクいってるカップルはゴマンとあって、
奴もたぶんそうで、だから私にもそうしたんだろうと思う。

そして、そうされて私が辛くなったのは、
私がそんな理想を抱いちゃなくて、寧ろそれは幻想だと思ってて、
親しければ親しいだけ大切にしなきゃと、
かけがえのない存在なら一層失わないよう気を払ってなきゃと、
無理してでも大事にしなきゃと思ってるからだ。
そうすることなく関係を維持できると思うほど、私には自信がない。

とは言え、私がこう考えるに至るには、然るべききっかけがあったなぁと振り返る。
奴に語ったエピソードとは、そのことだ。
それは今も共にある夫がくれた私の分岐とも言える気づきで、今でも感謝してやまない。
そして、その気づきがなければ、私は夫との縁を不意にしただろうとも思う。
それくらい重大なきっかけだった。



当時私と夫に起こったことは、今奴と私が躓いていることとよく似ている。
付き合い始めて数年、結婚してから一年位だったか、夫に誘われて近所に食べに出て、
オーダー出したきり特別に話すこともなく、黙ったままの私に夫は言ったのだ。
「こんなんじゃ、駄目だね…」苛つきと諦めが混じったような声だった。

そう言われて、私は焦りはしたものの、彼の真意を掴みかねていた。
何が駄目なのかわからなかったのだ。
けれど、その言葉の重さだけは印象に残って、その日以降私は考え続けた。

そして気づく。
私は、一番大切にすべき人を一番蔑ろにしてたわと。
身近だからそうしなくていいんじゃなくて、身近だからこそそうすべきなんだわと。
以来、私は夫に一番気を遣っている。義務ではなく、そうしたいと思う。
だって、それ程に価値のある人だもの。失いたくない縁だもの。



今更ながら、そんな話を奴にしたワケだ。せめてもの抵抗として(笑。


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