女房様とお呼びっ!
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2003年04月16日(水) |
ワタシはやっぱりマゾヒスト |
奴隷が負う辛さについて、だらだら考えを巡らせるうち、ふと思いつく。 イリコのように”辛いけれども服す”奴隷もいれば、 ”辛いからこそ服す”奴隷もいるのだろうと。
そういえば、一昔前のM専誌の読者投稿欄などは、この手の奴隷志願ばかりだった。 いや、今でもいるはずだ。 ある意味、それはマゾヒストが奴隷たる王道かもしれない。
”辛いからこそ”奴隷を目指すマゾヒストにあっては、 肉体が痛苦を欲するように、精神が痛苦を欲すると解釈できる。 奴隷だの家畜だのヒト以下に貶められるを求め、罵られては悦楽を感じ、 あるいは不遇に耐える自体に愉悦する。 酷い扱いを受ければ受けるほど奴隷としての悦びは増し、ひいては奴隷たる存在意義まで見るか。
だから、その手の隷属願望組は、主人が奴隷に情けをかけるなどもってのほかと表明してたし、 ラジカルな連中ともなれば、奴隷に礼を言うとか労わるとか、そんな奴はSに非ず! とまで吠えていた。 まぁ、彼らの理想や美意識に照らせば、それは正しい言い分だ。 更には、奴隷が目指す究極の悦びはやがて廃棄されることだと説く。 それが、彼らの”奴隷道”だ。
・・・・・。
先日、とあるM女性と面識を得た。 それなりに経験もあるらしい。そのうちに彼女の身の上話が始まった。 主と慕う男がいるが、何度も破門されてるのだと明かす。
彼女は自嘲気味にそう言ったけれど、さほど深刻に聞こえない。 破門劇を楽しんでいるような印象。 詳しい経緯は知らないが、何度も破門出来るなんて余程相性がいいんだわ(笑
夜が深くなっていたせいか、それが彼女の癖なのか、初対面の私相手に一方的な話は続く。 不出来な自分は破門されて当然だとか、男は自分に同情してるだけだとか。 そんな自問めいた告白の挙句、彼女は言った。 「ワタシ、好きな人でも優しくされると途端にイヤになっちゃうんですよね」 その言葉に笑ってしまう。あぁやっぱり。
流石に「あぁやっぱり」とは言えなくて、 「ホントに我が強いのね」と誤魔化して話を切った。 これしきの関わりで、これ以上彼女の自己憐憫につきあう義理もあるまい。 私なりの結論で言えば、一見不幸そうな身の上だが、彼女にとってはそれでいいのだ。 その男の思惑はわからないが、並の神経ならご苦労なことだと思った。
・・・・・。
彼女を知る友人と後日話していた折、その話になる。 「色々話を聞いてるとね、彼女の主は彼女自身のような気がしてならないのよ」 あぁその通りだと思う。 彼女は、自分の思い通りに自分を不幸にしてくれる男を求めているのだろう。 そう考えると、彼女が見込んだ男はよくやっている。 きっと女を不幸にするのが趣味なんだよ(笑。
ここで私は、彼女の状態を”不幸”と表現しているが、 それが彼女の望む状態ならば、それは彼女にとっての幸いなのだ。 この価値観は、前述の奴隷道を極めんとする隷属願望者のそれと通底する。 マゾヒスト的幸福観とでもいうか(笑。 この悪魔的希求或いはエゴには、相応のエゴを持ち合わせた人間しかつきあえないだろうな。
・・・・・。
と、ここで気づく。 何によらず、その道を求道する者は、このマゾヒスト的幸福観に縋る面があるなと。 ある意味ストイック、第三者的には、ナゼニソコマデと呆れられるような(笑。 とすれば、賽の河原に石積むような”主道”にのめり込む私こそ、マゾヒストだわ。 や、何を今更な話だけれど、改めて笑ってしまったので記す。
さて、今回ここまで。 読み返すとまるで脈絡のない話に成り果てて、どうにも恥ずかしいやら辛いやら。 でもまぁ、わたし、マゾだからこのまま露出放置。あはは、投げやり〜(笑)
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