女房様とお呼びっ!
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2003年03月28日(金) 閑話休題 〜母とのこと〜

これまでの記事の中で、
再々私は”母の支配下にあった”とか”母の奴隷だった”とか表現してますが、
さて、これが世間並みの母娘関係に照らして、字面ほど強烈なものであったかどうかは甚だ疑問です。
どんな親でも子を守り育てる上で、
支配的であったり、子を抑圧したりする一面があるものでしょうから。

そう承知しながらも、殊更に母のその一面に拘り、そう称したがるのは、
母から自立せんがための所謂「母殺し」的な意味合いが強いと思っています。
なので、この歳にもなって、話の成り行きとはいえ、これを持ち出すのは結構恥ずかしいものです。

もっとも、今現在の生活や心象において、母との関係が影響することは殆どありません。
恨みがましく思い出すこともありません(笑。

けれども、ことイリコと関わる上で、母と自分がどうだったかと回想することがよくあります。
主に自分の言動を振り返るためですが、
彼とのことをどこか母と私の関係性に重ねてるのでしょうね。
それとも、未だに私は、”母の奴隷だった”と思いたがってるのかしら(笑。



母とのことを思い出すのは、決まって、イリコに不服を覚える時です。
その時私は、まずは怒りや失望という感情を抱き、
次に、そう感じた事柄に苦言を呈したり、叱ったりする必要に迫られます。
その度に、怒りや失望を露わにした母や、
私自身が怒られたり、叱られたりした時の記憶が呼ばれるのです。
と同時に、子の私が覚えた恐怖や焦燥、無力感、絶望感、
それが嵩じて覚えた衝動などが思い出されます。

たぶん、事実と記憶には大きな偏りがあるとは思うのですが、思い出すそれは、
殆ど何も教えてくれず、訊いても「自分で考えなさい」と突き放されて、
けれど母の思い通りに出来なければ「何を見てたの?!」と呆れられ、役立たずと罵られ、
一旦母が怒り出したら最後、私の何から何まで否定されて、挙句育てた恩を返せと迫られる
・・・そんなイメージです。


こうして改めて文字にしてみると、
単に被害妄想に陥ってるだけじゃないの?と自分の記憶を疑うばかりですが、
そのイメージがあるのは確かなんですね。


対する私は、とにかく母の思い通りを目指して、怒られまいとするのですが、
所詮母の思い通りに出来るはずもなくて、怒られてばかりだったような記憶です。
怒られるのが怖くて、どうしたら母に満足してもらえるのか、役に立てるのか、
常に神経を使っていました。
今思うと、姑に仕える嫁のようでしたね(笑。

いぇ、未だにその片鱗はあって、
例えば実家に帰ると、夜中に母が咳をしただけで起きることが出来ますし、
咳が治まるまではお世話をしなきゃと待機モードに入って、寝られなかったりもします(笑。
勿論、今となっては流石に、そうしなかったからと言って母が怒るとも思わないのですが、
心底に怒られる恐怖があって、そうなってしまう感じです。
そんな折、我ながら「刷り込まれてるなぁ」とげんなりするばかりなんですけど。



と、だらだら恨みがましいことばかり書き連ねましたが、つまり、
当時の私の存在意義は、”母の役に立つこと”で、
最も怖れていたことは、”母の機嫌を損ねること”だったワケです。

この点で、イリコの存在意義と怖れに当時の自分が同調してしまい、
私が味わった辛さを、せめて彼には感じさせたくないと願っては、
当時の辛苦をもたらした母の言動を反芻し、自らを戒めているのですね。


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