女房様とお呼びっ!
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2003年03月27日(木) |
コミュニケーション不全 #2 |
イリコが私の問いかけに答えて。
> 僕としての立場を与えて頂いた時、ご不興を頂くことは私にとっての恐怖となりました。 > それは論理や意識ではなく、感情から生じるものです。 > そこに常識や知性の介在する余地はなく、心の深奥から発したものに精神も体も縛られてしまいます。 > 小動物が人影を察知して逃げるように、その気配だけで思考が麻痺してしまいます。
この前後の文脈で奴は、 「相手の言を理解するよう努めることが人間関係の第一歩だと思う」と言及しつつ、 自身に起きる過剰反応について、 「通常の人間関係であれば、そのようなことはあり得ないこと」と分析している。 その上で、 「奴隷だからといってすぐに思考停止に陥っては、奴隷の責務が果たせないだろう」と結んでいた。
・・・・・。
これを読んで私が頭を抱えてしまったのは、 そこに錯誤があったからでも、失望したからでもない。 過剰反応について奴が自認する状態を聞けば、むしろ満足さえ覚える。 なぜなら、それは奴隷としては理想的な反応で、 意識のかなり深い部分から奴が私に隷属していることを知らしめたからだ。 この一年の成果を見た気がした。
だから、奴が過剰に反応したところで、そこに不服を覚える所以はないのだろう。 それに、感情レベルの反応に私の言動を吟味しろというのは、土台無理な要求だとも思う。 出来得ることは、私自身が奴の反応を見越して言動するだけで、 たとえ思いがけない反応を招いても、私の責として受け止め消化すればいいのだ。
しかし、実際問題として私は困難を覚えている。 奴にしても、自動的にそうなっては閉塞し、自らを処しかねている。 どうすればいいのか? どうしようもないのだ、たぶん。 私たちはずっとそれぞれの困難を抱えていくのだろう。 僅かに希望があるとすれば、 年月を経て慣れることで、今程のしんどさを感じなくなること位だろうか。
・・・・・。
そんな風に無理やり納得しようとしていた矢先、 当時懇意にして頂いてた方に、この一連の事柄を半ば愚痴めいてお話する機会があった。 これに応えて、その方はご自身の事情を引きながら、奴の反応や心境に理解を寄せて下さった。 その上で、支配側が如何に対応しようと、被支配側の過剰反応は拭えないものではないかと仰る。
そこで、私はハッと気付いたのだ。 そう言えば、かつて母の支配下にあった私は、未だに母の言動に怯えるわと。 支配を逃れ、精神的に訣別し、自立したつもりになって既に何年も経つのに。 そして、私が母に覚える恐怖は、まさに奴が明かした私に対するそれと同じで。 更に私は、その恐怖から真に逃れられるのは、母が死んだ後だと諦めているのだ(!)
とすれば、私と奴の間に立ちはだかる壁は、自分が思うよりずっと高く厚く、 自身の都合で楽観したり合理化できるほど、甘いものではないのだろう。 互いに慣れればどうにかなるかしらなんて期待しても、 私は母に、これまでの年月をかけても慣れることなど出来なかったではないか。 思考が転がり始めて、また振り出しに戻ル。ドウスレバイイ?
・・・・・。
結局、今もどうすればいいかはわかってない。 わかっているのは、毎度同じ壁にぶち当たるということだけだ。 けどまぁ、壁なんてそんなもんだろうと諦めてもいる(笑。
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