女房様とお呼びっ!
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2003年02月20日(木) |
ワタクシはヒトである #1 |
昨年暮れの事件で、私が得た気づきは”怒り”に関わるもの以外にいくつかある。 が、そのどれもが、DSの関係において「人として」どうあるべきかを問うものだ。 日頃私はお題目のように「SMでもDSでも、所詮人の関係だ」と繰り返してはいるが、 こう述べるに至る自身の認識に潜む大きな思い違い、更には傲慢に気づいたのだ。
随分前のことだが、「女王様としてこうあるべきという考えはあるか?」と訊かれ、 「自他のために誠実にあることで、ありのままを評価してもらいたい」と答えた※。 この時既に現在へ続く錯誤があると承知しつつも、ここに今の気づきを見てしまう。 つまり、”ありのまま”とは何ぞやと。この二年の私は”ありのまま”だったのかと。
勿論、対人関係における”ありのまま”は、相手によって変わるものと理解している。 自覚する自身の”ありのまま”を、その間柄に則して加減しては、見せているものだ。 時に”ありのまま”でない建前を作り込む必要もあるが、納得してればいいことで。 そうして、この二年、私は奴に見合った”ありのまま”であり続けようとした。
・・・・・。
今となれば自己弁護に過ぎないが、実際私は、奴に見せている自身に納得してた。 信義にそって誠実にあろうとしたし、非日常な別人の自分を演出した意識もない。 もっとも、奴が、私に従うに価値を見出せるべく、ひたすら自分を律してはいた。 主が惑えば、従は不安に苛まれる。負の感情に惑うなど、主にはあるまじきだと。
あぁ、改めて言葉にしてみれば、なんて高慢で恥知らずな自意識を抱いたのだろう。 しかし、私の後を追うしかない奴にとって、それは錯覚するに充分だったはずだ。 そしてその錯覚は、慣れない「従」の位置に身を置き、自らに精一杯の奴にとって、 恐らくは、大いに縋るべきものであったろう。ここに、私たちの利害が一致した。
なぜなら私は奴に、人として理解されるよりも、主として傾倒して欲しいと願い、 奴は奴で、落込むとか泣くとか、そんな負の感情に揺れる主は見られないと請い。 かくして私は、必然に湧く負の感情を時に抑え、時に奴に見合う程度に加工して、 人としては随分といびつな”ありのまま”をこしらえては、奴に呈してきたのだ。
・・・・・。
とはいえ、納得してもなお、この方針をとる当初から一抹の不安を抱えてはいた。 このやり方では、形骸化した関係を招きかねず、親密な間柄を目指す障害となる。 だから、最初のうちはメールや電話で親密なコミュニケーションを図ったものだ。 が、日常に対話を重ねていると、時に負の感情が漏れて、奴を困らせてしまった。
全くだらしない限りだけど、ここで私は自分を見切って方針を変えることにした。 実のところ、ここに掲示板を持った理由のひとつは、まさに奴を巡る方針に負う。 奴の負担にならない程度に、私を多角的に見せて、私を感じてほしいと画策した。 つまり、間接的にであれ、私の人とナリや感情や体温を伝えたいと企んだワケだ。
しかしながら、この手段がどれ程に「人として」の私を奴に知らしめたかは疑問だ。 再開前の記事の殆どは、元々の見栄張りを映して「人らしく」なかったものね(笑 それに奴としては、やはり緊張しつつも直接に会う、行儀良い「主たる私」が全てで。 奴が「怒りを頂いた」と認識する時でさえ、私は声も荒げず、取り乱しもしないのだ。
恐らく当初の不安は的中したのではないか。奴の思う私は、多分ヒトじゃない(笑
・・・・・。
だから、事件後初めて奴に宛てたメルに、久しぶりに用件以外のことを書いた。 それも自分のことを。これまでは、書いても説教じみた話題ばかりだったのに。 勿論、あの時怒りを露わにしてしまった自身を言い訳したい気持ちもあった。 が、それ以上に、”ヒトとしてのありのまま”を、今こそ言明しようと思ったのだ。
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