女房様とお呼びっ!
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2003年02月19日(水) なぜワタシは考えるのか?

昨今ウダウダと思考しているのは、何もアテなく哲学しているワケではない。
文中では「従」と表しているが、これは明らかに身近な奴隷のイリコ個人を指す。
奴と関係して二年、大事な縁だからこそ、絶えず思考してきた。その自負はある。
結果大きな破綻もなく来たが、昨年暮れのある事件が、私に気づきをもたらした。

はっきり言って「このままでいいのか?」と、二年間の思考に疑問が湧いたのだ。
確かに時の経過とともに得たものは多い。奴には大した変化を恵んだことだろう。
奴の変化を見るのは私の悦びでもあり、思惑通りに事が運んだ達成感も味わった。
しかし、何もかもがうまくいったはずもない。当然ながら、再々に失望を抱えた。

その度に苦言を呈し、叱りつけ、時に懲罰をもって、再びの失望を避けようとした。
しかし失意は繰り返される。そしてまた、前回と同様の懲戒と反省をなぞるのだ。
もっとも、この反復は端から覚悟してることで、呆れながらも諦めることはない。
根気よく付き合えば、いつかどうにかなるだろうと専ら自分に言い聞かせていた。

・・・・・。

あの時。私は初めて生々しい怒りを奴にぶつけたのだ。しかも人前で声を荒げた。
感情が溢れるのを制御できなかった。いや・・・抑えようと思えば出来たのだろう。
怒りを吐く直前まで逡巡したのを憶えている。そして、えいやと思い切ったことも。
言葉を繰り出しながら、早々に後悔が始まったが、どこか転機を予感してもいた。

その時の私は、奴がもたらした失望を三つも抱え、いつも以上にナーバスだった。
けれど、それは偶々の成り行きで、そのことに怒ってはならないと自制に励んだ。
いつも通りに行儀良く、感情を抑え、奴の失態を質すことに専念すればいいのだ。
冷静に奴の言を聞きわけ、肯定と否定を明確に言い下し、適宜指示すれば済む。

ところが間が悪いのは重なるもので、あるいは、私が神経過敏だったからなのか、
奴の受け答えの逐一に、刺々しい自己主張を感じてしまったから、さぁイケナイ。
私はこんなに自制してるのに、奴はそれをわかってないと思うと、苛ついてきた。
せめて誤魔化そうと軽口を叩いてみたり、笑ってみたりしたが、奴は依然頑なだ。

・・・・・。

この不幸な偶然が、私のタガを外したらしい。”今ここで”怒るしかないと発想した。
が、切羽詰った衝動ながら、そう発想した事に、我ながら驚き困惑してしまった。
なぜなら、それまでは、苦言一つにしても”いつ、どこで”に配慮していたからだ。
それは、些細なことで「石になる」奴と付き合うための知恵のようなものだった。

それに、専ら「主の怒り」に怯える奴のために、もちろん自身のカッコツケもあって、
「私は怒っている」と奴に表明したのは、この二年で僅かに二回と記憶している。
もちろん、細かく怒りを感じることはあったが、怒っても仕方ないやと諦めたり、
「がっかりした」なんて姑息に言い換えては、怒りの所在をうやむやにしてきた。

つまり、怒らないことを自分に課すのは、主ヅラする恰好の責務だったワケだ。
確かに怒りを抑えるのは難儀だけれど、そうする自己満足のほうが勝ってたのね。
ところがあの時、衝動に後押しされる形で、ソレデイイノカと自らに問うたのだ。
それで、従来の流れの中に大きな石を投じた。一種の賭けのような気分だった。

・・・・・。

思えば、私の人間関係うち、これほど真摯で親密で長続きした関係は夫以外にない。
我ながら貧しいなぁとも思うけど、それが身の丈にあったところなんだろう(笑)
そして、夫との歴史を思い返すに、やはりこうした転換点があったと思い至る。
気づけたなら、勇気をもって自らが変わればいい。これは、その時に学んだこと。

かくして、私は自らが変わり、そこに新しい方針を展望せんと、考え続けている。


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