女房様とお呼びっ!
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2002年06月03日(月) ココロ 〜本当のS・本当のM〜

「自分は、本当にMなんでしょうか?」身近な奴隷と付き合い始めて一年近く経った頃に、奴が訊いた。ナニを今更…と噴き出しそうになりながら、その質問の意を質す。と、どうやら、奴が私と交際する上で折々に抱く、或いは感じ続けている不安のひとつらしい。そして、そう自問する根拠を聞くだに、また笑ってしまった。

いや、笑ってしまったけれど、奴がその命題にぶち当たってしまったこと自体は理解できる。というか、私自身、「犬」の主だった頃に、そう自問した時期があるからね。私の場合はこうだ。「私ナンカが”主”になって、彼はいいんだろうか?」あぁ、今となれば、やっぱり呆れて笑っちゃう。だけど、当時は深刻に悩んだのヨ。

つまり、艱難辛苦を乗り越えてMとして求道する「犬」に対して、引け目というか、負い目を感じてたのね。成り行きで「主」に奉られただけの私は、自分のS性に確信がなかった。巷で囁かれる「本当のS」なんて言葉に怯えてた。殊に、「犬」は「Mの鑑」と目されてたから、自分は彼にふさわしい主だろうかと常に不安だった。

・・・・・。

当たり前の話だが、性癖と称される性嗜好の傾向や程度は、各人で違う。ずばり、個性といってもいいだろう。だから、人と比べるようなもんじゃない。ましてや、それらを測る普遍的な尺度は存在しないはずだ。なのに、S/M性が高いの低いのと比較しあったり、「本当の」SだMだと絶対評価めいた言葉が使われたりする。

確かに、歴然とした個人差として、性癖を自覚してから実践に至るまでの経験の差のようなものはある。が、その差も、あるからどーした?程度のもんだと思うヨ・・・っと、今だからそう思えるのかもね。やっぱ私も、ある時期までは、経験値のあるなしで人を測ってた節があるナ。経験のない自分は、まだまだだなァとかサ(笑

まぁ、たかが性癖であっても、自分のありようを見つめる上で、自分と他者を比較してしまうのは仕方ないことだと思う。けれど、その目的は、他者基準で自分にランクをつけることじゃなく、自分の願望を実現する適正な他者と出会うためだろう。とすれば、相手を得てから、自分の相対位置を疑うのは、意味がないかもね(笑

・・・・・。

さて、冒頭の奴の質問、ないしは不安について。私の回答は、「さぁどうかしら?」だった。冷たいようだが、ホントにそうなんだもの。逐一の具体的な事象には、せめてもの見解を示したが、奴が「本当にMかどうか」は、今んとこ不明だ。というか、たぶん、この先もはっきりとした答えは出ないと思うよ。出す気もないや(笑

答えがあるとすれば、私達が関係してることそのものだろう。だって私は、奴に、M性を期待して交際を始めたのだから。もちろん、付き合いを重ねる中で、認識を新たにすることもあると思う。お互いにね。でも、それらに納得しつつ、相互に興味を抱ける対象であれば、充分なんじゃない?S性とかM性とか問うべくもなく。

ま、結論としては、私がよければそれでいいのヨ、OK?私の判断について、奴が取り越し苦労をする必要はないのダ。考えるだけ、エナジーの無駄だワ(笑。かつて、自分のS性について散々悩み、自家中毒を起こしては消耗し、「犬」が「犬」である以上、「主」でいていいんだと諦めた私が言うんだから、たぶん間違いない(笑

・・・・・。

もっとも、キミが「自分は本当のMじゃないから、奴隷やめます」なんて申し出たらば、キミのM性とやらをあげつらって、その迷いを蹴散らしてあげようネ(笑


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