女房様とお呼びっ!
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2002年05月31日(金) ココロ 〜本当の自分〜

「あの頃の自分って、相当作ってたからね」ちょっとバツの悪そうな表情で、夫は回想する。「だから、今更どういう態度を取ればいいかワカラナイ」それが、彼の断る理由。近々、十年前に彼が主宰していたSM同好会の面々が集まる。私を経由して、当然夫にも声がかかった。いや、彼の出席をこそ望む向きが大きいかもしれない。

「当時は、作ってる気はなかったんだケド」Mの鑑と謳われた彼を、人は今でも懐かしむ。あぁそうだね。彼は、femdomに憧れる者にとって理想的な「従」を体現していた。謙虚で礼儀正しい、女性崇拝者。我を捨てて、相手に尽くす。更には、その奉仕的な姿勢のままに会の運営に力を注ぎ、結果、人格優れたMとして慕われた。

身近な私には、時折愚痴や泣き言も漏らしたけれど、彼は「Mとしての自分」に存在意義を感じていたのだと思う。他者からそう認知される安堵もあったか。だから、私とのDS関係が破綻して以降も、会を続けていられたのかな。勿論、私事をさておいての責任感に駆られた部分もあったろうが、彼は望んで、Mの顔を持ち続けた。

・・・・・。

無論、彼がMを自覚したのは、唯一の女性に隷属したい願望があったゆえだ。彼の性愛は、そういう形でのみ実現される。性癖。それは世間に受容され難い形で、求めれば困難を伴う。しかし求めてしまう。そして彷徨う。アテのない夢を追い続けるためには、「Mとしての自分」を殊更に意識する必要があったのかもしれないね。

私と出会い、夢を手にしてもなお、彼は「Mとしての自分」に拘り続けた。これが「本当の自分」なのだと絶えず語った。私が、Mである彼を愛しつつも襲われた、「Mである彼は、幻なんじゃないか?」という不安を拭うために。つまり、漸く掴んだ夢を損なわないために。或いは、今得ている幸福の正当性を自他に確認するように。

私にしても、彼が「本当の自分」を主張する度に、自分の存在意義を確認できて安心した。だから、関係の解消という結果は、私の存在意義まで奪ったものだ。ただ、破綻以降も彼が会を続けてくれたのが、せめてもの救いになったよ。だって、そこにあれば、彼は「本当の自分」、Mとしての存在意義を感じていられるんだもの。

・・・・・。

当時の夫のように、SMを嗜好する自分を「本当の自分」だと規定する人は多い。勿論どなたも、ご自身の多面性を踏まえた上で、敢えて区別するのだと思う。その人にとって必須な一面ってことなんだろうね。その一面でこそ、幸せを実感出来たり、予感したり。だから求めて止まない。未だ得てないなら、尚更強く憧れるかな。

とすれば、夫の「本当の自分」はどうなってしまったのだろう。あれ程拘っていた「Mとしての自分」なのに。いや、今でも、彼はMを自認してるのよ。でも、それを特別な一面として奉らなくなった。有り体に言えば、落ち着いちゃったってことか(笑。「Mとしての」幸いと不幸を経験して、夢自体を諦めたんだと推測している。

夢が潰えてなければ、彼は依然として「本当の自分」を語ってたのかしら。いや、夫の心底の想いはワカラナイ、もしかすると、未だに「本当の自分」を抱いてるのかもしれない。でも、少なくとも私にとっては、夫の全てが本当なんだけどナ。結果論にしてもサ(笑。「犬」であった彼も、今共にある彼も。多分これからの彼も。

・・・・・。

んー、この辺、私自身が「本当の自分」てな発想を持たないために、適当な解釈が出来てないような気がする。いまいち釈然としないまま、この項続く(予定、笑)


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