女房様とお呼びっ!
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2002年05月27日(月) ココロ 〜プレイと調教〜

いつだか、身近な奴隷相手に愚痴を垂れた。「みっちりプレイしたいなぁ…」応えて奴が、「お相手致します」と言うので、「キミとはまだ出来ないよ」と返せば、戸惑う奴は無言となり、「今シてるのは”調教”さ」と補足してやった。極私的な解釈ながら、私の中で、プレイと調教は一線を画すのだ。正にオタクな拘りだけど(笑

勿論、オタクの内輪でも、この辺りの解釈はまちまちだ。SMクラブでの刹那の行為でも”調教”だったり、愛ある行為でも”プレイ”と呼ぶカップルもある。ま、結局、当事者以外にはドウデモイイことなんだけどね(笑。そして、ドウデモイイことをウダウダ考えたり、したり顔で語ったりするのが、オタクたる由縁でもあると(笑

・・・・・。

さて、ここでイキナリ、SM行為を社交ダンスに喩えてみたい。ナンカ、無理矢理な展開だけどサ(笑。人ふたりが、リードする側とされる側に分かれて、カラダを使って陶酔するあたり似てるかなと思ったから。んー、いつもながらに胡散臭い展開だと自嘲しつつ、案外ハマる比喩かもと、実はこの閃きが嬉しかったりもする(笑

そして、冒頭の不可解な会話を翻訳しよう。「みっちり踊りたいなぁ…」「お相手致します」「キミとはまだ踊れないよ」「今シてるのは”レッスン”さ」・・・つまり、私が楽しめる程のダンスの相手は、奴にはまだ務まらないということだ。レッスンは、奴のレベルを基準に行われている。この段階で、私は心底ダンスを楽しめない。

では、どうして、自らが楽しめないことをするのかと言えば、そこに別の楽しみや将来への目論見があるからだ。損得で考えても、充分バランスがとれる程の。私流の所作を教え込み、次第に上達する様を見る悦び。やがては、私が充分に楽しめる相手とならしむ展望。更なる理由として、この長丁場を支えるココロが存在する。

いや、ココロなしには、こんな面倒臭いコトしやしないとも言う(笑。いくら教える楽しみがあるからって、ダンスの教授を請う誰彼につき合う動機はない。やはり、コイツを育てたいという特別な思い入れや愛情がなきゃさ。当然、相手にも呼応するココロを望むし。ま、この辺が、私と奴隷の関係性の一面を為してるワケだ。

・・・・・。

他方、「みっちり踊りたいなぁ」という自分本位の欲求も捨てがたい。ダンス教師だって、心置きなく踊りたいものね(笑。けど、相手が必要。しかも、誰でもじゃダメ。別に私流のダンスとシンクロしなくてもいいけど、せめて息のあう、センスのあった相手じゃないと、気持ちよく踊れない。ある程度のスキルも当然必要だ。

そこで、相手を物色する。マッチングを確かめるべく、お手合わせ願う。勿論、端から完璧なコンビネーションは得られないが、相性の善し悪しくらいはわかる。二度三度と回を重ねて、互いの癖を知り、譲歩したり、妥協したりしていく。これに成功すれば、晴れて、心底ダンスを楽しめるワケだ。相手も然り。対等の位置で。

ダンスに限らず、球技のラリーとか唄のデュエットとか、人ふたりが共同する場面では、双方の位置や力量が似通ってるほうが、都合がいいし、楽しめるだろう。そして、その楽しみの関係性において、特別な愛情めいたココロの存在が必要じゃないのは自明だ。つまり、これが前回記事した、”カラダだけのSM”の様相なんだね。

しかし、特別なココロなくとも、相手を尊重し、大切に思う気持ちは充分にある。だって、単なるプレイパートナーにしても、相性の合う人間と出会うのは、やっぱり千載一遇なのだ。(だから、何度も涙を飲んでるワケで、笑)私の場合、数年前に拠ん所ない事情で会えなくなった相手以降、該当する人材に巡り会えていない。

・・・・・。

最後に言わずもがなだが。前者後者いずれが相手でも、恋愛する時はするものだ(笑)関係性の確立と恋愛感情の後先はともかく。そして、またココロが生まれる。


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