女房様とお呼びっ!
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2002年05月22日(水) |
ココロ 〜もう一人の自分〜 |
「ココロの扱いは難しい」先日記事した友人S女に、そう言わしむるM魚彼氏もまた、業の深い性癖をもつ。彼のプレイ遍歴は、常人が聞けば身の毛もよだつようなものだ。その異常さに、神経そのものが疑われても仕方ない程の。しかし、実際の彼は、見目も佇まいも振る舞いもまるきり普通で、寧ろモテそうな好青年である。
友人の言葉を借りれば、彼には「SM用の自分」があるという。本来の自分の身代わりに、そいつを差し出すイメージらしい。だから、真っ当な神経なら間違いなくオカシクなる過酷な責めを受けても、決定的なダメージを負うことはなかったワケだ。逆に考えれば、それを回避するために「SM用の自分」が出現したのかもしれない。
一方、友人は、恋しい彼の全てを望む。彼の都合で差し出される「SM用の自分」なんて要らないと言い切る。まぁ、それはそうだろう。だって、そいつはハードプレイ耐性のあるロボットみたいなモンだものね。恋だの愛だのから生まれた熱情の刃を、ココロを手放したカラダに突き立てても、暖かな血は流れない。空しい作業だ。
・・・・・。
「カラダは許しても、ココロは許さない」SMによらず、性行為に身をやつす時、こう意識する人がいる。或いは、行為してるのは「もう一人の自分」なんだとか。改めて定義することで、本当の自分、すなわちココロを守っているのかナと想像する。生憎、私にはこの感覚がないが、守るべきモノを明確にするのは賢明だと思う。
かつての恋人や友人の彼は、自身のマゾヒズムを充分に晴らすために、極端なやり方ながら、「もう一人の自分」を具現した。彼らが守りたいのは、本来のココロのそのものだ。そこには、人を愛したり、恋したりする感情も含まれるのだろう。とすれば、彼らが私や友人に出会ったのは、大きな誤算だったかもしれないね(笑
それまでの彼らのSM行為は、カラダだけ許してれば成立していたのだ。なのに、ココロを求められたり、自らココロまで許したいと思ったりしてしまう。初めての経験に、彼らが怯え、戸惑ってしまうのは当然だ。実際、かつての恋人は、自身がSMの相手である私に感情を持ったのを自覚した時、大変な葛藤と混乱に陥ったっけ。
・・・・・。
さて、友人の彼も、現在この葛藤の中にある。それは、私の恋人が経験した葛藤よりも苛烈かもしれない。行為に臨めば、それまで通りに出てくる「SM用の自分」。それを望まない相手。しかも、彼が今まで行為から隔離していたココロをを引きずり出し、ココロと共に行為したがる。彼にとっては非常事態だ。混乱し、恐怖する。
「だから、出来ないこと多いのよ」彼女は溜息を吐きながら、そう言った。「私以前に経験してる責めはNGなんだ」そっか、しょうがないね。「でも、私と初めてヤったことは大丈夫なのヨ」嬉しそうに言葉を継いだ彼女の表情が、正に恋する乙女なものだから、胸が痛む。彼が好きで堪らないから、あれこれ行為したいんだよね。
しかし、ココロを守り抜いてきた臆病な彼が、ココロを許して行為出来るようになるには、まだ暫く時間がかかりそうだ。が、彼の葛藤の根本が彼女への希求にあるのは確かで、そこに希望を見るのが何よりだろう。「ま、気長に待つわ」自称せっかちな友人の覚悟やいかに?「別に何してても楽しいからサ」ナンダ、そう来たか。
・・・・・。
惚気を喰らって苦笑する私に、彼女は更に追い打ちをかけた。「それに、私には要らない”SM用の自分”はヨソで面倒みて貰えって言ってあんのヨ」あはは、お見事!
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