女房様とお呼びっ!
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2002年04月11日(木) 女王様は脱ぐべきでない?!

昨日記事した「はだかの女王様」。実は、これを邪道とするfemdom関係者は多い。奴隷に肌を晒すなんてトンデモナイと息巻くS女もいれば、脱ぐ必要ないジャン?と笑うS女もいるし、女王様の裸体を拝謁するなんて恐れ多くて…と半ば怯えるM魚もいれば、はだかの女王様に威厳なんぞ感じられるかッと憤慨するM魚もいる。

もちろん彼らだって、SMなんて人それぞれと、頭ではわかっちゃいるんだろう。だからこそ、個人的な価値観を声高に語る。時にそれがエスカレートして、自分のやり方こそが正道だと、排他的な色合いを帯びることもある。まぁ、気持ちはワカランでもない。誰だって、自分の正当性を確認しては、そこに安住したがるしサ(笑

だから、未だに斯界では「SMとはかくあらん」的議論がかまびすしい。この「はだかの女王様」問題も相変わらずだ。いやはや、アナクロな話だけど、ま、オタクな楽しみとしてはアリかな?と笑って見ている。たとえ、お前は間違ってるッと指さされても、ソデスカ?とイナしてしまうだろう。そんなん私の勝手じゃん?あはは。

・・・・・。

私に勝手があるように、M魚にもM魚の勝手がある。彼らのマゾヒズムに照らせば、全裸を余儀なくされた下僕たる自分と隙なく装った女王様の対比は、大いに萌えるところらしい。纏う物を奪われた不自由さ、惨めさ、弱々しさ。羞恥。それらの感情をいや増す着衣の女。S側にしても、この対比に醍醐味を感じる向きは多い。

更には、いつでも行為を止め、ショッピングにでも行けそうな女の足許で、自分は淫らな汁を垂れ流し、息も絶え絶えにのたうち回っているという構図。彼らのマゾヒズムは、その情けなさや哀れさを欲望する。だから、その欲望が充分に満たされるには、平然とM側の痴態を見下ろす「着衣の女王様」という装置が効果的なのだ。

いや何も、この構図は、M側だけが一方的に欲望するワケじゃない。S側も、鏡像のように対をなした思惑を抱く。着衣に拘らない私でも、時折、こうしたベタな舞台を拵えることがある。ま、私の場合、それでイキナリ欲情したりはしないが、結構面白いよ。こちらが普通に食事している脇で、相手にセルフ浣腸させたりサ(笑

・・・・・。

今では、服を着てようが脱ごうが「そんなん勝手じゃん?」と振る舞ってる私だが、SMに関わり始めた当初、実はやっぱり「一切脱ぐべきでない」と思ってたんだよね。いや、もっとシビアに「触らせてもダメだ」と決意して、夫との初対面に臨んだなぁ。で、靴以外は許さなかった。彼は、その事にいたく感激してたっけね(笑

でも、その成り行きって、既にベテランのM(笑)だった夫に対して、初心者の私がナメられちゃイカンと思う一心からだったナ。今にして思えば、可愛らしいというか、馬鹿馬鹿しいというか(笑)幸いにも、夫は注文の多いMではなかったので、その後は、自分のしたいようにヤるSMに辿り着いて、伸び伸びと行為出来たヨ。

やっぱ、「どうあるべきか」よりも、「どうありたいか」に沿う方が無理がない。むろん、当事者同士で齟齬が生じることもあるだろうけど、第三者的規範で取り沙汰するのはツマンナイだろ。折り合うのに時間がかかっても、互いに納得するところへ納まればいい。クラブに頼るなら、自分の好きなやり方のとこへ行けばいい。

・・・・・。

そう言えば、SMなんて知らない頃の私は、ホント、自分の好きなように遊んでた。オナニー見せてくんなきゃヤらせないとか無茶言って、服着たままでビール片手に見物に回ったりサ。童貞相手に、ちんこ舐めるだけ舐めて、放って帰ったりサ。うーん、下手にSM〜なんて気負わない方がイイかもしんない。今は昔の話だけど(笑


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