女房様とお呼びっ!
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2002年03月31日(日) |
安息 〜98.04.14記す |
囚われし者に問う。 人は、強く正しくあるべきなのか。
重ねて問う。 お前が囚われたのが、生きる意味や価値であるのならば。
本当にお前は強いのか。 そう思い込んでいるだけではないか。 本当にお前は正しいのか。 そう思い込んでいるだけではないか。
何でも出来るのが強いのか。 何でも出来るのが正しいのか。 何でも知っているのが強いのか。 何でも知っているのが正しいのか。 何でもわかっているのが強いのか。 何でもわかっているのが正しいのか。
再び問う。 強く正しくあるために、何を怖れ生きるのか。
お前が怖れているものは、 お前を守っているもの、そのものではないか。 お前を守っているものこそが、 お前の枷になっていることを怖れるのではないか。
囚われし者よ。 自ら囚われ、自らを責め、 強さと正しさを目指すのは息苦しくはないか。
囚われし者よ。 お前の目指す強さと正しさが、 お前の自由を奪ってきたのではないか。
もう、許してやってもよいのではないか。 もう、放たれてもよいのではないか。
お前に勇気がないならば、 私が代わって責めてやろう。
恥を見つめ、恥を捨てなさい。 私の前でなら出来るでしょう?
出来ないことを出来ないのは、恥ではない。 出来ないのに、出来る振りをする方が恥ずかしい。 知らないことを知らないのは、恥ではない。 知らないのに、知ったかぶる方が恥ずかしい。 わからないことをわからないのは、恥ではない。 わからないのに、わかった振りをする方が恥ずかしい。
囚われの身を捨て再び生きる。 最初の一歩がそこから始まる。
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