女房様とお呼びっ!
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2002年02月25日(月) 今日も今日とて

大体、私は冷たい人間なので、人様にさほどの期待を抱くことなく、暢気にこぢんまりと生きている。共に暮らす夫にさえ、アァシテホシイとかコゥシテホシイとか思わないし。だからこそ、シテクレタことには、今もって感激するし、感謝を言葉に乗せるのだ。これは、たぶん、夫も同じようなモンだろう。だから、共にいる。

言うまでもなく、私の愛の基盤は夫にあり、夫と過ごす時間が一番幸せだと思ってる。勿論それは、愛という抽象よりも、長年で培われた慣れや適当なやり取りの加減にも、大きく負うのだけど。私が他の男とつき合って、改めて夫を愛してると思うのは、旅行から帰って「やっぱウチが一番ネ」とくつろぐのに似てるのかな(笑

ただ、その実感を得るために、夫以外の男とつき合うのかと問われれば、即座に違うと断言出来る。夫では果たせない、アァシテクレコゥシテクレ的無茶を言うためでもない。夫の理解の外にある「本当の私」を解って頂戴ってわけでもない(だって、夫は私の一番の理解者だと思う)。唯一の理由は、やはり性愛を晴らす為なのだ。

・・・・・。

私が望む性愛のカタチは、イイ大人がマジになって取り組む、DSという壮大なおままごとだ。だから、役目役割を固定するのは必須で、そこに疑問を抱いちゃない。客に見せるために芝居する役者でさえ、演技の最中に陶酔に浸ることはあるそうだけど、誰はばかりなく絵空事に没頭するエクスタシーったら!止めらんないねッ。

埒外の方には信じられないかもしれないが、「主」「従」というおままごとの役割は、日常にも意識される(だから、壮大なのだね、笑)。喩えるなら、「親」と「子」、時に「先達」と「後続」に似た感覚だ。だから、遊び事ながら真剣な私達の間柄は、恋人でも友達でもないながら、「愛」による結びつきと認識されることが多い。

勿論、この「愛」だとて、ままごとのゴザの上にある。役目役割に適った、愛の方向性を持つ。真っ当な親が子を慈しみ、決してもたれかかったりしないように。真っ当な先達が後続を見守り、決して詮無い愚痴を垂れたりしないように。「主」役の私は、「主」として「従」役を愛する。決して、庇護して欲しいとは思わない。

・・・・・。

なら、「主」役をこなす上で、何を悦びに愛もて応ずるのかと言えば、結局、自分を慕う「従」がいてくれること、そのものなのだ。疑いなく慕われることに満足するし、余念なく追従してもらうために、あれこれと手を尽くしたいと願う。だから、「従」役に徹して、傍にいてくれればいいだけだと思っている。これは本当に。

まぁ、そうは言っても、流石に「主」役もヒトの子なので、若干の見返りは期待したりもする。正直なところ(笑)。それは即ち「従」の成長であったり、為と判じて行ったあれこれに、充分に反応してくれる姿であったり。ま、時に、「従」が辛くなる反応を意図して行為することもあるので、「従」は混乱するかも知れないが(笑

・・・・・。

いつもながらの長い前置きに続けて、ここで漸く、いつもながらの言い訳をば。・・・先日愚痴を垂れたのは、確かに本音なんだけど、基本的にはここまで述べたような心情で、私は充分に自律している。思いがけない私の愚痴に、奴が困ってしまったのは、痛いほどわかっている。悪いことをしたね。改めて、ごめんと言おう。

けどさ、食事中の話題くらい、偶には提供してくれないか?黙りこくって物喰うのが苦痛で、仕方なく、どーでもいい話ばっかしてるけどさ。いや、キミ的には、聞き役に徹したいのもわかんだけどさ。ただ、キミと食事してるんだぜ?しかも、先日なんて、近々の予定を楽しみにしてるかと思ったのに。何だか気が抜けたわよ。

・・・・・。

あっっ、結局、今日も愚痴を垂れてるワタクシ・・・しばらく弱り中にて御免。


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